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プロ野球回顧録

渡辺久信GMが語る若獅子寮で過ごした青春の日々

 

メットライフドームエリアの大改修工事に伴い、西武ライオンズの若獅子寮が8月に姿を消すことになった。過去に幾多のスター選手を輩出してきた若手合宿所。1984年に入団、若手時代を若獅子寮で過ごした西武・渡辺久信GM(ゼネラルマネジャー)に当時の思い出を聞いた。

本社の軍隊上がりの鬼寮長。「起床!散歩、体操ヨ〜イ!」


若獅子寮の前で写真に納まる渡辺GM


――1984年にドラフト1位で入団しました。入ってみて寮の雰囲気はどうでした。

渡辺 ぶっちゃけ、面倒くせえなあと思ってました(笑)。当然、規則もありますし、先輩後輩の上下関係もすごく厳しかった。1年目から出たかったとは言いませんけど、早く出たいなとは思ってましたね。

――門限は何時でしたか。

渡辺 二軍の選手は10時ですね。でも、一軍はナイターがあるので、深夜12時とかちょっと遅いですよ。

――当時の西武ライオンズというと2年連続日本一。廣岡達朗監督が率いる常勝チームに入ったのですが、規律も厳しかったですか。

渡辺 はい。僕が入った当時は、寮生も一軍選手が多かった。当時の高卒選手は結構長く寮にいたので。工藤(工藤公康)さん、伊東(伊東勤)さん、秋山(秋山幸二)さんもそうなんですが、それ以外にもたくさんいました。

――部屋番号は覚えていますか。

渡辺 覚えてないですけど、部屋は狭かったですよ。四畳半とか。いまは当時の2部屋の真ん中をぶち抜いて1部屋にしているので、広いんですよ。その分、部屋数は少なくなっている。我々の時代はドラフト外の選手がいっぱいいたので、寮生がすごく多かったんです。だから狭い部屋に一人。備え付けのベッドでスペースが埋まってしまう感じです。

82年の西武の食事。モノクロで分かりづらいが、鍋の食材が置かれている


――食事面はいかがでしたか。

渡辺 食事はもう素晴らしかったです。というか、廣岡さんの時代だったので、ご飯だけは玄米だったんです。いまは進化して玄米もおいしくなったじゃないですか。炊き方もいまの炊飯ジャーのほうがいいと思います。昔はまさに玄米で、茶色いご飯だったんです。それまで玄米なんて見たことがなかったので、これが玄米かと思って食べてたんですけど、やっぱり咀嚼をたくさんしないと……硬いんですよ、やっぱり。

――飲み込めない。

渡辺 だから何回も噛むような感じなんです。あの玄米が唯一のネックで、オカズは素晴らしい。僕もいろんな球団に行ってますけど、ウチは12球団で一番いいんじゃないかというほどお金をかけた食事は出ていたと思います。和洋折衷、なんでもありました。

――寮長はどなただったのですか。
渡辺 本社(西武鉄道)の人が歴代寮長を務めていました。

――昔の寮長というと、鬼寮長みたいな人が多かったと聞きますが。

渡辺 鬼寮長ですよ。僕が入ったときには軍隊上がりの寮長で、もう厳しいです。まず、朝はその人の声で起きた。館内放送で「起床! 起床! 散歩、体操ヨ〜イ!」って(笑)。みんなゾロゾロと外に出て、第二グラウンドを走るんです。そして体操。朝起きたばっかりで、死ぬかと思いました(笑)。

寮生全員で一軍の試合を観戦。「やっぱりナイターはいい」


若き日のピッチング


――一軍の本拠地球場のすぐ近くに第二球場、寮があります。こうした一体的な施設というのは、当時はあまりなかったのではないですか。

渡辺 二軍にいるときは、寮生全員でよく一軍の試合を見に行っていました。ナイターを見て、いいなあと。

――それは刺激になりますよね。

渡辺 やっぱり日差しを浴びるより、カクテル光線を浴びてプレーしたほうが……それがプロ野球選手みたいなところがありましたから。

――廣岡さんは二軍で投げていた渡辺さんを見て、「貸してくれ」と当時の二軍監督に言ったらしいですね。

渡辺 たまたま親子ゲームがあって、二軍戦を見に来ていたらしいです。そのとき僕はファームで投げていたんですけど、投げれば打たれるし、フォアボールを出してストライクを取りにいったところを打たれる。全然、結果が出てなかったんです。ただ、廣岡監督の“御前試合”で僕は初めて勝った。それを廣岡監督が見て「こいつ、ドラフト1位で球も速いから、ちょっと一軍で投げさせながら育てようか」という話になったみたいです。たまたまその年は、ウチは優勝していなくて、先発陣が崩れた時期とも重なった。一軍の試合では、なんか知らないけど打たれなかったんですよね。僕も当時投げていて一軍のバッターのほうが二軍より楽だなとは思っていました。

――なぜでしょうか。

渡辺 荒れ球がきいたかもしれないですね。危ないピッチャーに思われたんじゃないですか(苦笑)。もちろん、わざとじゃなくて無意識に荒れちゃうだけなんですけど、荒れる分だけバッターの踏み込みが甘くなる。二軍は若い選手ばかりなのでガンガン踏み込んできますけど、一軍のバッターはやっぱりみんな生活が懸かっているので。そう勝手に解釈しています。

――寮に入っていた期間は、当時の西武は何年だったのですか。

渡辺 高卒は、5年はいなくちゃいけなかったです。

――最後までいたのですか。

渡辺 いや、僕は4年で出ました。ルールを破ったんです……いやいや、破ったわけじゃない。ちゃんと了解してもらって。

――どういうことでしょうか。

渡辺 4年目のシーズンが終わって、一軍でそこそこ投げていたので、寮を出てもそれなりに生活していけるかなと思って、当時の根本陸夫管理部長の家に手土産を持って行ったんですよ。「寮を出してください」と直談判。2時間ぐらい話したんですかね、でも「最低5年いなくちゃダメだ」と言われたんです。粘ったんですけどダメで、いったん帰ったんです。その1週間後に、もう一回行った。また手土産を持って(笑)。そのころ思っていたのは、根本さんのような人は正攻法でいったら落ちないなと。そうじゃなくて、ちょっと斜めから行ったほうがいいなと思って、「すいません、マンション買っちゃいました」と言いました。ホントに買っちゃったんです、その1週間で。

――えっ!

渡辺 そこは又貸しできないマンションで契約した以上は住まないといけないので、「だから出してください」と。そしたら根本さんが「ナベ、お前考えやがったな」とあきれて、「だったらもういい」と、すぐに寮を出してくれたんです。そこまでして出たいんだという僕の熱意が伝わったんだと思います(笑)。これが中途半端に賃貸マンションと契約したといえばダメだったかもしれない。でも、買っちゃえば絶対に出してくれると思って根本さんの家にもう一度向かったんです。

――すごい話ですね。

渡辺 高かったですよ。5400万円、当時。

――覚悟を決めたわけですね。

渡辺 1週間で探しましたよ。「とにかくマンションを買いたいんで」と。不動産屋さんは20歳過ぎの若造がと思ったかもしれないですけど(笑)。

――その覚悟がグラウンドで頑張るエネルギーになったのでは?

渡辺 それはありますね。寮を出た後の3年間が僕のキャリアハイですから。15勝、15勝、18勝。
――まさに独り立ちしたわけですね。

渡辺 そのときには結婚もしましたから。

熱帯夜対策に冷風機を購入


DCブランドで身を固め、阿波野、西崎とともにトレンディーエースと言われた


――当時のメンバーと一つ屋根の下で暮らしたエピソードは、書ける範囲で何かありますか。

渡辺 寮って当時は暖房しかなかったんです。絨毯の床暖房。だから冬はすごく快適だったんですけど、ただクーラーがなかったんですよ。だから夏はみんな大変だった。食堂にはクーラーがあったので、そこで寝てたり。僕も4年目に先発の前の日とか、寝れないんですよ、暑くて。サウナみたいなものです。

――当時はまだそこまでクーラーが普及していなかったとはいえ、それでもきついですよね。

渡辺 常にパンツ一丁で寝ていたような。それも体に悪い。仕事に差し支えがあるなと思って、冷風機を入れたんです。すごく涼しくて部屋はキンキンになりますよ。そこでアンダーシャツを着て冬用の毛布をかぶって寝ていました。冷えすぎないように。僕の部屋だけすごく快適でした。これは寮長にもちゃんと話をしたんです。「すいませんけど、寝れないです。仕事に差し支えがあるので、入れさせてもらいます」と。寮長は聞いてないフリをしたかもしれない。それはそうですよね、ルールがありますから。でも、チームのためを思ったら寝ずに投げるより寝て投げたほうがいい。で、その夏は快適に過ごして、その年限りで私は寮を出ました。その翌年に寮の全部屋にクーラーが入りました。

――さっきのマンションの話にしても行動は起こさないといけませんね。最後にあらためて、若獅子寮の日々を。

渡辺 楽しかった。す〜ごい楽しかった。当然、野球も頑張るし、お金も自由に使える。好きなだけ自分に投資できる。いい意味でも悪い意味でも投資しましたよ。悪い意味での投資は飲みに行ったり遊びに行ったり。そういうことも多少はしましたけど、ファッションにお金を使って自分を高揚させたり、プロとしてファンの視線というのも当然、意識していましたよ。いまの人はパーソナルトレーナーを雇うなど体のケアに投資しますけど、僕らの時代はまだそういう時代じゃなかった。

――阿波野秀幸さん、西崎幸広さんと「トレンディーエース」と言われていました。

渡辺 阿波野さん、西崎さんが大学から入ってきたときにはもう、工藤さんとか僕は球界ファッションリーダーの最先端を行っていました(笑)。清原(清原和博)を含めて「新人類」と言われたのは3年目ですからね。

(ベースボールマガジン別冊薫風号『ファーム青春物語』より抜粋)

取材・文=佐藤正行 写真=BBM
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