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週べ60周年記念

青田昇ヘッドと西本幸雄監督はなぜ合わなかったか/週ベ回顧

 

 昨年、創刊60周年を迎えた『週刊ベースボール』。現在、(平日だけ)1日に1冊ずつバックナンバーを紹介する連載を進行中。いつまで続くかは担当者の健康と気力、さらには読者の皆さんの反応次第。できれば末永くお付き合いいただきたい。

豪傑と生真面目


表紙は巨人王貞治


 今回は『1967年12月18日号』。定価は60円。
 
 男と女も難しいが、男と男も意外と難しい。
 西本幸雄青田昇は、誰もが一目置く“男の中の男”だ。上に媚びず、己の信念を貫き、球史に名を成した。
 1967年は、西本が監督、青田がヘッドコーチとして同じユニフォームを着て、阪急ブレーブスを球団創設以来、32年目にして初優勝に導いた年だ。
 しかし、オフ、青田が辞表を出し、退団。マスコミは、青田が西本と性格的に合わないことを理由に挙げていると騒ぎ立てた。
 対して、まず西本の弁。
「そりゃ確かにワシと青ちゃんは性格はまるで反対かもしれん。しかし性格が一緒じゃなきゃ野球はできんのかね。実際には力を合わせて優勝という大目標を達成したではないか。ワシは青ちゃんに対しては本当に3年間、チームのためにも私のためにもよくやってくれたと感謝しているんや」
 と言いながらも続いて
「でもな、一方的にワシに対する悪感情的なものを退団の第一理由にしたとしたら情けないことや」

 続いて青田の弁。
「そりゃいろんなことが西さんともあったことは確かや。新聞ではワシと西さんが性格が合わんからやめた、となっているらしいが、とんでもないことや。性格が合わんのはもって生まれたものんだから仕方ないやないか。しかしそんな単純な考えで、なにもかも処理していたら、世の中渡っていけんわ。そうやろ、3年間、同じ釜の飯を食って、ワシは西さんに教えられることが非常に多かった。あの人ほど野球に対する情熱や執念を持つ勉強家はちょっと見当たらんぐらいや」
 ともに“性格が合わないこと”は否定しない。

 豪快で親分肌の青田と、頑固で口下手、生真面目な西本は、これまでも和気あいあいとやっていたわけではない。
 青田の奔放な言動に、西本が苦虫をかんだような表情を浮かべていたことも頻繁にあった。
 それでも灰色のチームと言われた阪急を一から作り直す過程においては、ともに手を組んでいけたのだろう。

 はっきりとした亀裂が生まれたのは、67年秋季キャンプ、西本が自身に対する信任投票をしたときだったとされる。
 西本が辞任を表明した際、反西本と言われた岡野球団社長が次期監督にと思っていたのが、青田だった。青田にすれば、自分が知らぬ間に反西本側に立てられたのは、不本意だったが、西本の周囲を振り回すような行動にも不信感を持ったらしい。

 さらに西本は、ここから青田との二人三脚をやめた。西宮の雨天練習場での「西本道場」を開き、暮れも正月も関係なく、若手打者に打撃指導をした。
 青田は、
「本来は打撃指導はワシの仕事だが、監督はワシに連絡せずに始めた。何か考えがあってのことだろう。ここでワシが出ていくとおかしなことになるかもしれん」
 と静観することにした。
 この点において青田は、「西さんに個人的な恨みはなにもない」と言いながら、こう続けた。
「そのマジメな行動は自分のような男にはずいぶん勉強になった。ただ、西さんは人にすべてを任せられないところがあった。おおらかさがないというか、人を信用せず、自分で確かめねば気が休まらぬところがある。いい監督だが、このままでは小隊長どまり、大隊長や連隊長になれる素質のある人だけに、もっと部下を信じなくては」

 西本もまた、シーズン中から、
「もう大物コーチは採用しないよ。プライドがあり、どうしても監督の言うとおり動いてくれない」
 と名指しはしないが、青田批判的なコメントを繰り返し、青田の退団後も「経済的な問題もあったのではないか」と言っていた(青田は副業で経営していたバッティングセンターがつぶれていた)。

 対して青田は
「あのぐらい借金だと思っていない。あんなもの返すくらいの甲斐性はあるで」
 と話していた。

 この連載の担当は、どちらかと言えば西本タイプなので、青田に対する思いが少し分かる気がする。「いい加減な」と思う気持ちと同時に嫉妬心もあったはずだ。おそらく、
「俺だって、お前のように好き放題できたら、どんなに気が楽か。ただ、俺にはこのチームを支える責任があるのだ」
 ただ、西本はその後、阪急監督の座を捨て、近鉄に移るが、そのときは単にマジメ一徹の指揮官ではなかった。青田との3年間は、西本にとって、決して無意味なものではなかったように思う。

 青田もまた、西本との出会いで何かが変わった。
「西本さんは勝負に価する監督だ。相手にとって不足ない。できることならば、西さんが阪急の監督であるうちに、一勝負かけてみたい気がする。ワシも三原さん(脩。大洋監督退任後、近鉄監督に)と同じで闘志を失ってはおらんのだ」

 では、またあした。
 いや、きょうはネタがたくさんあったので、あとでもう1本アップします。写真は同じ表紙ですが、興味ある方はぜひ。
 
<次回に続く>

写真=BBM
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