昨年、創刊60周年を迎えた『週刊ベースボール』。現在、(平日だけ)1日に1冊ずつバックナンバーを紹介する連載を進行中。いつまで続くかは担当者の健康と気力、さらには読者の皆さんの反応次第。できれば末永くお付き合いいただきたい。 堀内恒夫の絡み酒?
今回は『1967年12月18日号』。定価は60円。
確か2回目だったと思うが、今回は1日2本アップする。これはその後編だ。
1回目は、阪急の生真面目な
西本幸雄監督と、豪傑タイプのヘッドコーチ、
青田昇の対立について書いた。
2回目は、
水原茂の後、東映監督となった
大下弘の話から始めよう。
終戦後に台頭し、豪快なホームランと甘いマスク、さらには代名詞となった着色した青バットで人気者となった男で、現役の最後は西鉄だった。
酒や女にまつわるさまざまな逸話が残り、それに関しては、青田のような豪傑タイプなのだが、内面には繊細で生真面目な西本タイプも併せ持ち、それが悲劇にもつながっていく……。
大下は監督就任会見でこう言った。
「ノーサインでいく。罰金も門限もなしだ。そんな窮屈なことを言っているから今の野球は魅力に乏しい。私はもっと選手の思いのままに野球をやらせますよ」
世間は、豪快なイメージの大下らしいと称賛したが、元東急監督で大下の遊びの師匠とも言われる
苅田久徳は、
「ばかなことを言ったもんだ。昔われわれがやっていたころとは時代が違うよ。あのころの調子でやっていたら現代の野球では勝てません」
とため息まじりに語ったという。
その後、新潟県湯沢の温泉旅館で選手も集まり「納会兼監督歓迎パーティー」を行った。前任の水原は、このような場合、移動の汽車も選手が二等でも自分は絶対に一等を要求し、温泉でも大風呂には入らず、部屋ですますなど、選手と距離を置いていた。
対して、大下は選手と同じ二等に乗り込み、売り子に1万円をわたし、「そこにあるものを全部くれ」と言って、そのまま選手にふるまい、旅館でも選手と一緒に大風呂に入って、盛んに選手に話しかけた。
宴会のあとには、
張本勲ら中心選手を誘い、早朝まで羽目を外し、飲み続けた。
ただ、鉄子夫人は次のように話し、心配していた。
「あの人ほど無類のお人よしはいない。いまさら監督をやって嫌な思いをしなくてもいいのに」
納会といえば、3連覇の巨人納会が少し荒れた。
宴会終盤のことである。
川上哲治監督の前に座ったのが、2年目の
堀内恒夫。この年は3打席連続弾つきノーヒットノーランなど後半はそれなりの結果を出したが、出だしのベロビーチキャンプに落選したり、故障もあったりと、少々フラストレーションのたまるシーズンだった。
堀内は川上に向かって言う。
「僕は野球人としての監督のことを心から尊敬しています。でも、今年のやり方はなんですか。僕の生活態度が悪いのは分かります。でも悪いなら悪いと、監督が面と向かっていってくれたら僕は直します。それを第三者を使って調べたりして……」
堀内が二軍にいたころ、川上が堀内の周囲を調べさせたことがあったらしい。
場は一瞬緊迫したが、すぐ
柴田勲が、
「いいぞ、ホリ、やれやれ!」
と言ったことで、笑いが起こった。
最後は川上監督も「うん、よしよし、君の言うとおりだ」。
役者が違ったか。
では、あらためて、またあした。
<次回に続く>
写真=BBM