昨年、創刊60周年を迎えた『週刊ベースボール』。現在、(平日だけ)1日に1冊ずつバックナンバーを紹介する連載を進行中。いつまで続くかは担当者の健康と気力、さらには読者の皆さんの反応次第。できれば末永くお付き合いいただきたい。 がんばれ、パリス一家!
今回は『1968年1月1日号』。定価は60円。
監督就任会見で、ネクタイもしめずラフな格好で登場した東映・
大下弘新監督。らしくない、という声もあったが、それもそのはず、実はその日、大下は、まだ監督就任要請は受けておらず、ヘッドコーチへの就任交渉と思って会社に行ったら、電撃的に監督就任要請、さらに決定会見となったからしい。
条件も向こうの言うがままだったようだ。人のよい大下らしい話だ。
会見で「すべてを大下君に任すよ」と大川博オーナーは言ったが、大下が伊東キャンプを「中国か四国へ」と要望すると、
「冗談じゃないよ、君。伊東は変えん。だいたい監督がそんなことまで口を出すもんじゃない」
と一蹴。大下が旧知の
苅田久徳をヘッドコーチにと相談しても簡単に否決された。
大下もさすがに「任すって言われても、これじゃあね」と苦笑していたという。
大川が
水原茂監督を切った最大の理由は経費削減と言われる。高給取りで、補強だ、海外視察だと、やたらとカネを使いたがる水原を大川親子が嫌ったのだ。
伊東キャンプの宿舎も東映の直営ホテル。わざわざおカネのかかる四国や九州に行けるわけがない、ということだろう。
それでも救いは大下監督の明るさ。
「遊ぶときはとことん遊び、やるときはやる。そんな選手にしていきたい。もちろん優勝を狙ってやります」
と元気いっぱいだ。
閑古鳥が鳴く東京スタジアムの隠れた名物と言われたのが、パリス一家の応援だった。ガラガラのスタンドで、パリスの美人妻スージーさんと5人の息子が、いつもパパに熱い声援を送った。
しかし、このオフ、パリスがついに解雇となってしまった。
ふつうであれば、一家そろって帰国するところだが、この夫婦、なんとか日本に残りたいと奮闘中だった。
スージー夫人いわく。
「日本人って、とても親切だし、心の優しい人が多い。特に子供たちにはよくしてくれます。日本を離れるなんて嫌。そんなことを考えるだけで悲しくなっちゃいます」
パリスも、
「日本でプレーするつもりだ。いまは誘いがないが、年が明けたら売り込みにいく。日本で野球をやる以外のことは考えていない」
ときっぱり。
東京は代わりに
ジョージ・アルトマンの入団が決めた。年齢的には34歳と峠を過ぎているが、メジャー101本塁打の実績を持つ大物だ。
熱海であった巨人OB会に
川上哲治監督が6年ぶりに参加。昨年は「参禅のため」欠席し、くせ者ぞろいのOBから批判されていた。川上とサンケイ監督となった
別所毅彦は目も合わさなかったらしい。
では、またあした。きょうももう1本書いて午後にアップしておきます。
<次回に続く>
写真=BBM