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プロ野球1980年代の名勝負

“猛虎フィーバー”阪神が日本一!(1985年11月2日、西武×阪神)/プロ野球1980年代の名勝負

 

プロ野球のテレビ中継が黄金期を迎えた1980年代。ブラウン管に映し出されていたのは、もちろんプロ野球の試合だった。お茶の間で、あるいは球場で、手に汗にぎって見守った名勝負の数々を再現する。

甲子園での胴上げはならなかったが……


85年、日本シリーズで西武を下し、阪神の吉田監督が胴上げされた


 1985年4月17日、本拠地の甲子園球場で、阪神のバース、掛布雅之岡田彰布らクリーンアップがバックスクリーン方向へ3者連続で本塁打を叩き込んで、ライバルの巨人に快勝してからというもの、阪神の“猛虎フィーバー”は地元の大阪を中心としながらも、列島を縦断したといってもいいだろう。ペナントレースでは序盤から首位を走ったが、7月には広島に抜かれて2位となり、8月には3位に転落。ここから例年ならズルズルと落ちていって虎党の逆鱗を買うのだが、この年は違った。

 バース、掛布、岡田の3人だけでなく、リードオフマンの真弓明信までが30本塁打を超え、チーム219本塁打は12球団トップ。それだけではない。プロ野球記録に並ぶチーム141犠打などで、ワキ役たちも得点力アップに貢献。3位から勝ち星を積み重ねて8月27日には首位を奪回し、10月16日のヤクルト戦(神宮)に引き分けて、21年ぶりのリーグ優勝を決めた。ただ、熱狂的な虎党ならずとも、チームの胴上げは本拠地で見たいもの。甲子園での胴上げは日本シリーズを待たなければならなかった。

 対するは2年ぶりにパ・リーグを制した西武。現役時代は名遊撃手として“今牛若丸”と呼ばれた吉田義男監督の率いる阪神に対し、西武も現役時代は巨人の名遊撃手として鳴らした広岡達朗監督だ。ライバルチームの遊撃手として同じ時代を過ごした2人の対決だったが、破壊力抜群の阪神に、“管理野球”の西武と、あまりにもチームカラーは対照的だった。

 シリーズは西武球場で開幕。ペナントレースの勢いのまま阪神が2連勝したが、甲子園へ移った第3戦から、まさかの2連敗で、またしても本拠地での胴上げはかなわず。さすがに第5戦は1回表に掛布が3ランを放つなど快勝。これで王手をかけ、敵地に戻っての第6戦となった。ほぼ互角の戦いを繰り広げていた両チームだったが、その第6戦は一方的な展開となる。

3連発のクリーンアップが塁を埋めると……


 1回表。一番の真弓、二番で指名打者の弘田澄男が続けて凡退。簡単に二死を奪われたが、バースが四球を選ぶと、流れが変わってくる。続く掛布が左安打、岡田が内野安打で、“バックスクリーン3連発”の3人が塁にそろった。

 この日、「六番・左翼」で先発していたのが長崎啓二。82年に大洋で首位打者に輝き、この85年に阪神へ移籍してきたばかりの巧打者だ。ペナントレースでは代打を中心に68試合の出場にとどまったが、日本シリーズでは第4戦から先発出場。第5戦の第3打席ではダメ押しの2ランを放っていた。そして第6戦の第1打席。二死満塁で、功労者たちが塁上にズラリと並ぶ場面だ。

 1ボール1ストライクからの3球目。外野からは逆風が吹いていたが、打球は82年に首位打者を争った田尾安志の守る右翼を超えてスタンドへ。“伏兵”の2試合にまたがる2打席連続本塁打となるグランドスラムで、ほぼ試合が決まった。

 その後、西武も反撃するが、3点しか返せず。阪神は2回表に真弓がソロ、9回表には掛布がダメ押しの2ランを放つなどで西武を引き離し、ゲイルの完投で阪神が2リーグ制となって初の日本一を決めた。

1985年11月2日
西武−阪神 日本シリーズ第6戦(西武)

阪神 410 010 102 9
西武 100 100 001 3

[勝]ゲイル(2勝0敗0S)
[敗]高橋直(0勝1敗0S)
[本塁打]
(阪神)長崎2号、真弓2号、掛布2号
(西武)石毛3号

写真=BBM

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週刊ベースボール編集部

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