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プロ野球1980年代の名勝負

伊東のサヨナラ打で西武が初の3年連続日本一(1988年10月27日、西武×中日)/プロ野球1980年代の名勝負

 

プロ野球のテレビ中継が黄金期を迎えた1980年代。ブラウン管に映し出されていたのは、もちろんプロ野球の試合だった。お茶の間で、あるいは球場で、手に汗にぎって見守った名勝負の数々を再現する。

「負けたら近鉄に申し訳ない」


1988年、日本シリーズで中日を下して日本一になった西武ナイン


 1988年、ダブルヘッダー“10.19”で近鉄が連勝できず、惜しくも優勝を逃したことは紹介した。これによって優勝を“拾った”西武はパ・リーグ4連覇。黄金時代の西武にとっては日本シリーズという頂上決戦は3年連続の日本一へと続く通過点のようなものだっただろうが、石毛宏典清原和博らが「負けたら近鉄に申し訳ない」といったコメントをするなど、近鉄の激闘が常勝軍団を熱く刺激したことは確かだった。

 一方のセ・リーグは、就任2年目、41歳の星野仙一監督が率いる中日が6年ぶりの優勝。西武が初めて日本一に輝いた82年と同じ顔合わせながら、若き中日が王者に挑む形となった。ナゴヤ球場での第1戦、第2戦は、ともに1勝1敗。だが、西武球場へ移った第3戦からは西武が貫録を見せて連勝。迎えた第5戦は、西武にとっては3年連続で頂点に立たなければ「近鉄に申し訳ない」戦い、一方の中日にとっては負ければ日本一を逃す戦いだった。西武が渡辺久信、中日が小野和幸と、両リーグの最多勝投手が先発のマウンドに。だが、試合は序盤から壮絶なシーソーゲームとなった。

 先制したのは中日だった。1回表に敵失も絡んで1点。その裏には西武も石毛、バークレオの連続適時二塁打で3点を奪い逆転に成功した。中日も2回表に先頭の仁村徹が三塁打、続く音重鎮の適時打で1点を返す。その裏には西武が先頭の安部理が左安打、続く辻発彦が犠打で走者を進めて、小野をマウンドから引きずり下ろした。ここでリリーフに立った鹿島忠がピンチを切り抜けると、中日は続く3回表には宇野勝の2ラン本塁打で逆転。だが、西武も5回裏に安部と辻が2回裏と同じ光景を再現すると、今度は一死から吉竹春樹の三塁打で同点に追いついた。ところが続く6回表には中日が連打と敵失などで早くも2点を奪う。その裏には西武も清原はソロを放つも、その1点を返すにとどまった。

 7回からは一転、投手戦に。西武は6回からマウンドへ送っていた大ベテランの東尾修、中日も7回途中からリリーフに立ったシーズンMVPでクローザーの郭源治が、ともに安定した投球を続けた。そして、中日の1点リードで迎えた9回裏。ここで先頭の石毛が起死回生のソロ本塁打を放ち、土壇場で試合を振り出しに引き戻す。試合は延長戦に突入、西武は松沼博久をリリーフに送り、郭は続投。10回表は松沼博が一死から宇野に四球を与えたのみで無失点、その裏は郭が三者凡退に抑えるなど、緊迫の展開が続いた。

清原、石毛、そして伊東


日本一を決めるサヨナラ打を放った伊東


 11回表、中日は三者凡退。その裏、均衡を破ったのは、清原であり、石毛だった。先頭の清原が中安打で出塁、石毛が犠打で送り、延長に入って初めて得点圏に走者が進む。一死後、伊東勤の打球は右越えのサヨナラ打に。サヨナラ打で日本一を決めたのは、巨人V9の幕開けを告げた65年の土井正三に続く2度目の快挙。西武にとって初の3年連続日本一を決めたのは、黄金時代の司令塔だった。

1988年10月27日
西武−中日 日本シリーズ第5戦(西武)

中日 112 002 000 00 6
西武 300 011 001 01X 7
(延長11回サヨナラ)

[勝]松沼博(1勝0敗0S)
[敗]郭(1勝1敗0S)
[本塁打]
(中日)宇野2号
(西武)清原3号、石毛3号

写真=BBM
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