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オリックス・山岡泰輔が振り返る13年夏、広島大会決勝

 

2013年夏、瀬戸内高のエースとして甲子園に出場した山岡泰輔だが「甲子園に出たいと思ったことはない」。明徳義塾高に敗れて初戦敗退後も、“甲子園の土”は持って帰らなかった


 夢や目標は人それぞれ違うのは当たり前。なのに、“高校野球”に関しては、すべての球児が「甲子園を目指している」と思われがち。開幕から決勝まで全試合でテレビ中継され、活躍すれば地元ヒーロー。球児の“あこがれの舞台”ではあるだろうが、目標かと言えば全員がそうとは限らない。

 2013年、夏――。広島大会の決勝で熱戦が繰り広げられた。瀬戸内高と広島新庄高による頂上決戦は、互いに譲らずスコアボードにゼロが並ぶ。延長15回を終えてもスコアは動かず0対0の引き分けに。決着は翌々日の再試合へと持ち越された。

 熱戦を演じた両軍のエースは山岡泰輔(瀬戸内高、現オリックス)と田口麗斗(広島新庄高、現巨人)。甲子園への“夢切符”をかけた激闘は注目を集め、現在も広島県外にも知れ渡っている。ただ、山岡に当時の話を聞くと、意外な思いを口にする。

「あの試合は、とにかく楽しかったんです。スコアボードに並ぶゼロを見て、だんだん楽しくなっていた。どこまでゼロを続けていけるかな、って。田口もゼロを続けていたので負けたくない思いもあったし、負けない自信もありました。でも、それより2人で続けるゼロが、どこまで続くのかなと楽しんでいる自分がいたんです」

 聞けば「甲子園に行きたいと思ったことがない」という。ただ、高校で野球をプレーするにあたり、山岡には今も変わらぬ“絶対条件”があった。

「野球は楽しくやりたい。嫌々やってもうまくはならないと思うんです。だから『甲子園に行きたい』と思ったことはないけど『試合で投げたい』とは強く思っていた。練習はキツイけど、試合って楽しいじゃないですか」

 そんな思いがあったからこそ、勝てば甲子園の決勝の重圧も「まったくなかった」。

 決勝再試合は1対0で山岡を擁する瀬戸内高が勝利し、甲子園出場を決めた。その喜びよりも、山岡の胸にあったのは寂しさ。唯一の1点が入った8回裏。一死二塁から八番・大町太一が右前に運び“23イニング目”にして奪った1点を、九番の山岡はネクスト・サークルで得点を見届けた。そのときの心境が、試合を楽しんでいたことを物語る。

「あっ、試合が終わっちゃうんだ――」

 あの夏から6年が経った今では「人生を変えた試合」とも思えるという。それは純粋に試合を楽しんでいた野球小僧が成長の道を見つけたから。

「あの試合で注目されて、甲子園に出て、高校日本代表にも選ばれた。そこで、ただ楽しんで野球をやっていた僕が、ほかの選手とのレベルの違いを知れたから、プロではなく社会人に行こうと決めて、社会人で考える投球を学んだ。もし、あのとき、高校からプロに行けても何も考えずに投げていたと思うし、今みたいに先発ローテに入れる投手になれたか分からないと思うんです」

 あの夏、あの試合で得た“夢切符”は山岡にとってオマケに過ぎない。楽しむことを貫いた右腕が演じた“24イニングのゼロ行進”は“甲子園”ではなく、その先の“今”につながっている。だから、言い切れる。

「高校野球って甲子園が目標じゃなくても僕は良いと思っている。それぞれの目標で、やりたいことをやればいい。負けて良いという意味ではないけど、やりたいことを目いっぱいやれば、悔いのない夏になると思うんです」

 それぞれの夢や目標に向かい、全力で、限界まで挑んでいるからこそ、高校球児のプレーは周囲を魅了する。連日、各地で開催されている地方大会。球児1人ひとりの思いはさまざま。甲子園だけが高校野球ではない。

文=鶴田成秀 写真=BBM
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