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週べ60周年記念

西鉄・田中勉が中西監督退任を迫る/週ベ回顧

 

 昨年、創刊60周年を迎えた『週刊ベースボール』。現在、(平日だけ)1日に1冊ずつバックナンバーを紹介する連載を進行中。いつまで続くかは担当者の健康と気力、さらには読者の皆さんの反応次第。できれば末永くお付き合いいただきたい。

武上四郎の武勇伝



 今回は『1968年1月22日号』。定価は60円。
 
 西鉄ライオンズに思わぬ騒動が起こった。
 12月29日、球団事務所での田中勉の第2回の契約更改に本人ではなく、父が登場。いわゆる代理人である。
 田中が父に依頼した理由として明かしたのは、
「自分が出てはケンカになる。球団とケンカをしたくない」
 だった。
 これが日本球界の代理人交渉第1号かと思ったら、61年、西鉄・和田博実が義父を立てて交渉したことがあったという。

 このとき田中父は「いまの首脳陣の下で息子を働かせられない」と爆弾発言した。
 13勝4敗から9勝6敗と成績が下がったことでの大幅な年俸ダウンに加え、中西太監督の起用法についても文句があったようだ。
「前半はヒジが痛いのに休ませてもらえなかった。どうにもならず休んだらさぼったと言われた。戻ったら戻ったで、太り過ぎだなんだと」
 田中は「自分を出すか、首脳陣を代えるか」を要求していたというが……。

 巨人・長嶋茂雄の10年目のボーナス交渉が決着。野球協約では420万円が最低ラインだが、貢献度に合わせ、かなりの上乗せがあった。長嶋の場合、これが4000万円だった、と言われた。10年目のボーナスとしては史上最高額である。
 当時、球界では副業が流行っていたが、長嶋に聞くと、
「僕は商売はしないよ」
 と笑っていた。貯金派らしい。

 以前、サンケイの新人王・武上四郎の武勇伝を書いたことがあるが、この号にもやや詳しめの記事があった。
 地元のチンピラとケンカし、パトカーで登下校したという話だったが、今回の記事を見ると、結構激しい。

 武上が中学時代、紫団というチンピラ集団とトラブルになり、相手のリーダー格に「1対1でやるか」とケンカを売った。
 指定された場所に行くと、相手にいきなり空気銃で打たれたという武上は、ナイフで相手を刺したらしい。
 警察に調書もとられ、正当防衛ということになったが、紫団の報復を警戒し、しばらくパトカーでの登下校となった。

 では、またあした。
 
<次回に続く>

写真=BBM
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