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プロ野球1980年代の名勝負

ノーノー寸前から中日が落合のサヨナラ弾で逆転勝利(1989年8月12日、中日×巨人)/プロ野球1980年代の名勝負

 

プロ野球のテレビ中継が黄金期を迎えた1980年代。ブラウン管に映し出されていたのは、もちろんプロ野球の試合だった。お茶の間で、あるいは球場で、手に汗にぎって見守った名勝負の数々を再現する。

絶頂期の斎藤と反骨の西本による投手戦


劇的なサヨナラ弾を放ち、本塁上でナインにもみくちゃにされる落合


 1987年8月9日、中日へドラフト1位で入団した新人の近藤真一巨人を相手にノーヒットノーランを達成したナゴヤ球場。その約2年後の同じ夏場、その雪辱と言わんばかりに、巨人が中日をノーヒットノーランに封じようとしていた。89年8月12日、中日を相手に完璧な投球を続けていたのは斎藤雅樹だ。

“90年代の最強エース”と言われる斎藤だが、この89年がブレークイヤー。サイドスロー転向を指示した藤田元司監督の復帰もあり、水を得た魚のように勝ちまくる。5月10日の大洋戦(横浜)で完投勝利を収めたのを皮切りに、11試合連続完投勝利でプロ野球記録を更新。この試合も2回裏に四番の落合博満へ四球、7回裏に三番の仁村徹が放った遊ゴロが失策を誘ったのみで、1安打も許さない絶好調だった。一方の中日も、この89年に巨人から追われるように中日へ移籍してきた西本聖が力投。なかなか得点を許さず、緊迫の投手戦が繰り広げられていた。

 ノーヒットノーランに迫る斎藤を援護したい巨人は8回表二死から、一番の緒方耕一が左安打で出塁。続く二番の川相昌弘の三塁打で一気に本塁を突き、待望の先制点を挙げる。さらには9回表、西本からマウンドを引き継いだばかりの米村明に先頭のクロマティがソロ本塁打を浴びせ、早々にノックアウト。そこでリリーフに立った川畑泰博からも、続く原辰徳が2者連続となるソロ。劇的な2連弾で、快挙の舞台は整ったかに見えた。むしろ、誰もが斎藤のノーヒットノーランを信じて疑わなかっただろう。

 そして9回裏、もちろん斎藤がマウンドに立つ。先頭の中村武志は空振り三振で、まず一死。ノーヒットノーランまで、あと2人だ。続く打者は投手の川畑。星野仙一監督は、代打に音重鎮を送った。すると、音のバットは斎藤の初球をとらえる。打球は右翼線へ。27人目の打者が放った中日の初安打だった。

 これで斎藤のノーヒットノーランはなくなった。だが、まだ完封勝利が残っている。打順は一番に戻り、彦野利勝が打席に入ったが、二飛。これで二死、あと1人だ。続く川又米利は四球。中日もあきらめない。代走に韋駄天の小森哲也が立った。二死一、二塁。続くは7回裏に失策で出塁しながら、盗塁刺でチャンスをつぶしていた仁村徹だ。またしても初球だった。打球は右安打となり、音が生還。これで斎藤の完封勝利もなくなった。しかし、まだ完投勝利が残っている。二死一、三塁。ここで斎藤の前に立ちはだかったのは、やはり、あの男だった。

“最後の打者”となった落合


 この試合の主役は斎藤ではなかった。斎藤の好投は、この男の劇的打を演出する長い伏線に過ぎない。打席に入ったのは落合博満だった。2回裏に四球を選んだ四番打者に対しての初球は、ボール。そして2球目、141キロのストレートは右中間スタンドへと吸い込まれる3ラン本塁打に。ノーヒットノーランの快挙は一転、逆転サヨナラ劇へと姿を変えた。

 肩を落としてベンチへ引き揚げる斎藤。心なしか、いつもより早足でダイヤモンドを回ったように見えた落合は、本塁を踏むや否や、照れ臭そうにしながらナインの祝福を受けた。


1989年8月12日
中日−巨人20回戦(ナゴヤ)

巨人 000 000 012 3
中日 000 000 004X 4

[勝]川畑(3勝1敗0S)
[敗]斎藤(15勝3敗0S)
[本塁打]
(巨人)クロマティ11号、原21号
(中日)落合20号

写真=BBM

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週刊ベースボール編集部

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