昨年、創刊60周年を迎えた『週刊ベースボール』。現在、(平日だけ)1日に1冊ずつバックナンバーを紹介する連載を進行中。いつまで続くかは担当者の健康と気力、さらには読者の皆さんの反応次第。できれば末永くお付き合いいただきたい。 中日・杉下茂監督誕生
今回は『1968年2月12日号』。定価は60円。
前年12月25日、巨人・正力亨オーナーがドラフト制度の改革案を発表した。
まずドラフトは解消し、自由競争に。懸念される契約金高騰、一部球団への選手の集中と、その先の二軍で飼い殺し状態については、以下のようにし、対処するという。
1球団の選手を25人に減らし、12球団で300人をセ・パの両リーグの所属とし、残りはイースタン、ウエスタンに登録する。
3年間で選手登録(支配下)された日数が一定数に届かなかった場合、オフの選抜会議の対象になる。ここで1位は1000万円、以下これに準じた金額でトレードされる(詳しく書いてないが、お金は前所属球団に支払われるということだろう)。
これで契約金高騰を抑えられるかは分からないが、選抜ドラフトは、これ以前から、そして今もまた話題になっていることだが、悪いものではあるまい。
ただ、この発言がそれほど大々的に扱われたわけではない。
もし大正力が同じことを言ったら、どうなるのか、とも思った。
中日の新監督に
杉下茂が就いた。ただ、中日内部でも必ずしも歓迎ムードばかりではない。59、60年に監督を務めているが、成績不振もあって「監督の器でない」と批判され、追い出された過去がある。
本人も、
「私は監督をやりたくなかった。心を決めたのは、なんとか20年間、プロ球界でやってこれたのは中日のおかげ。その中日が前代未聞のピンチに立ったからだよ。もうシーズンが始まるという時期に監督になるなんて自殺行為ですよ。だから小山社長に言ったんです。私を殺すつもりなんですか、と」
就任の条件が
田中勉の獲得だったらしい。
実は田中の交換要員の最有力候補は、広野ではなく、
江藤慎一だったらしい。江藤と杉下の確執もまた有名だった。
江藤は、このトレード決定を聞いた際、「本当に広野で決まったのか」と言い、ほっとしたような表情を浮かべていたという。
東京の新人・
村田兆治の評判がいい。自主トレからビュンビュン投げこみ、捕っていた捕手が「最初からそんなに投げると、こっちも手が痛い」とこぼしたほどだ。
では、また月曜に。
<次回に続く>
写真=BBM