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プロ野球1980年代の名勝負

日本シリーズ初の第8戦を呼び込んだ工藤のサヨナラ打(1986年10月23日、西武×広島)/プロ野球1980年代の名勝負

 

プロ野球のテレビ中継が黄金期を迎えた1980年代。ブラウン管に映し出されていたのは、もちろんプロ野球の試合だった。お茶の間で、あるいは球場で、手に汗にぎって見守った名勝負の数々を再現する。

打順を組み替え背水の陣を敷いた西武


サヨナラ打を放った工藤を歓喜の表情で迎え入れる西武ナイン


 原則的に全7試合が予定されている日本シリーズ。一方のチームによる4連勝で、4試合で終わってしまう場合もあれば、第7戦まで決着がもつれる場合もある。そんな日本シリーズの歴史にあって唯一、第8戦まで日本一が決まらなかったのが1986年だ。

 ともに黄金時代といわれる広島と西武の対決。広島は就任1年目の阿南準郎監督が率いており、一方の西武も同じく就任1年目の森祇晶監督が指揮を執っていた。ルーキー監督による対決も日本シリーズ史上初。いずれも強力投手陣と堅守をバックボーンにするチームだったが、広島の主砲で四番打者の“ミスター・赤ヘル”山本浩二は、この日本シリーズを最後に引退することが決まっており、一方の西武は新人の清原和博が四番に座っていた。この“新旧”四番打者の対決も注目を集めた日本シリーズは、1点を争う緊迫の展開が続く。

 いきなり第1戦(広島市民)から息詰まる展開に。9回裏の土壇場で広島が小早川毅彦、山本浩の連続アーチで同点に追いつき、そのまま延長14回を引き分けで終わる。ただ、引き分けがあっても第8戦にもつれ込むとは限らない。第2戦(広島市民)から広島が3連勝で早くも王手。後がない西武は、第4戦(西武)まで1試合平均2得点と当たっていない打順の組み替えを敢行した。

 三番だった秋山幸二を六番に下げ、一番の石毛宏典を三番に。そして一番には田尾安志、固定されていなかった二番には金森永時を起用する。これが功を奏した。2回裏までは1安打のみだったが、3回裏二死から田尾、金森、石毛の3連打で先制。投げてはエースの東尾修が得点を許さない。一方の広島も、日本シリーズ4度目の出場にして、まだ勝ち星のないエースの北別府学が3回裏の1点のみに抑え、打線の援護を待った。

 そして7回表、先頭の長嶋清幸が右安打で出塁すると、続く衣笠祥雄が犠打で送り、二死から達川光男の内野安打で同点に。9回表には先頭の山本浩が中安打、今度は長嶋が送り、衣笠が左安打で一死一、三塁のチャンス。ここで山本に代走の今井譲二を送って勝負をかけた。だが、続く木下富雄の三ゴロで今井が挟殺されて無得点に終わる。試合は第1戦に続く2度目の延長縁へと突入していった。

そして史上初の第8戦へ……


 延長戦となり、西武のマウンドに立ったのは工藤公康だった。広島は北別府が続投。それまで三者凡退5度、10回裏と11回裏も三者凡退という力投を見せたが、12回裏、先頭の辻発彦に四球を与え、続く伊東勤に送られて一死二塁となったところでクローザーの津田恒実にマウンドを譲る。打席には工藤。森監督に「最後まで(お前で)行くぞ」と言われた工藤は「僕が投手なら、そう投げる」と狙い澄まして右翼線へサヨナラ打を放つ。日本シリーズでの投手のサヨナラ打は58年の稲尾和久(西鉄)以来で、指名打者制のパ・リーグでは打席に立つことがない投手の一打で西武が初勝利を挙げた。

 ただ、第6戦(広島市民)は山本浩が40歳になる誕生日でもあり、広島には「本拠地の誕生日Vで有終の美を飾るのも悪くない」という余裕すら漂っていた。だが、そこから勝てず。史上初の第8戦は広島市民球場で行われたが、3対2で西武が辛勝。胴上げ投手となったのは8回裏からリリーフした工藤だった。


1986年10月23日
西武−広島 日本シリーズ第5戦(西武)

広島 000 000 100 000 1
西武 001 000 000 001X 2
(延長12回サヨナラ)

[勝]工藤(1勝1敗0S)
[敗]北別府(0勝1敗0S)

写真=BBM

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週刊ベースボール編集部

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