大船渡高は1984年春のセンバツで4強進出。この旋風で同校は一躍、全国区となった。同夏(写真)も2季連続で甲子園に出場しているが、以降は全国舞台から遠ざかっている
令和元年夏。甲子園を目指す地方大会は全国各地で盛り上がりを見せているが、最も露出が多いのは大船渡高(岩手)だろう。
163キロ右腕・
佐々木朗希(3年)が大きな注目を浴びているが、タテジマのユニフォームもすっかりお馴染みとなった。
大船渡高は1984年春のセンバツに、春夏を通じて甲子園初出場。左腕・金野正志を擁して、初陣で準決勝進出を遂げ「大船渡旋風」を巻き起こした。同夏にも岩手代表として、2季連続で甲子園の土を踏んでいる。
当時から、ユニフォームのデザインは変わらない。この84年を最後に甲子園から遠ざかり、平成時代は、全国舞台に名乗りを上げることはできなかった。
なぜ、タテジマなのか?
ある同校野球部OBの証言によると、タテジマが採用されたのは79年だという。当時から東北地区、そして、甲子園においても強さを発揮していた東北高(宮城)に「追い付け! 追い越せ!」との思いが込められている。
確かによく似ている。昭和の高校野球ファンからすれば「大船渡旋風」は強烈なインパクトとして残る。強豪校に真っ向から挑むサウスポー・金野の投球と、チームで束となって立ち向かう「全員野球」には、胸を躍らされたものだ。今回、佐々木朗希の活躍により再び脚光を浴びる機会が増え、以前と変わらないユニフォームに、懐かしさを覚えた愛好家も多いことだろう。
取材現場で初めて見たときも、興奮したものである。一方、今夏の県大会前の練習試合でオープン戦用(ベースボールTシャツ)だった際には意気消沈……。それだけ、タテジマは大船渡高野球部の象徴として定着している。
190センチの長身右腕・佐々木は、タテジマがよく似合う。かつて、東北高で2年春から3年夏まで4季連続で甲子園に出場した
ダルビッシュ有(現カブス)の雄姿と重なる、と感じた人もいるはずだ。
さて、大船渡高は7月21日に岩手大会4回戦を迎える。35年ぶり2度目の甲子園切符をつかむまであと4勝。絶対的エースをチーム全員で援護するスタイルは「大船渡旋風」からの伝統として受け継がれている。最後の1球まであきらめない。タテジマのプライドを持って、純粋に白球を追いかけていく。
文=岡本朋祐 写真=BBM