昨年、創刊60周年を迎えた『週刊ベースボール』。現在、(平日だけ)1日に1冊ずつバックナンバーを紹介する連載を進行中。いつまで続くかは担当者の健康と気力、さらには読者の皆さんの反応次第。できれば末永くお付き合いいただきたい。 近鉄の三軍
今回は『1968年2月26日増大号』。定価は70円。恒例の選手名鑑号だ。
門限なし、罰金なし、サインなしと、三無主義と自由放任を掲げたはずの東映・
大下弘監督だが、初の監督とあってかキャンプで張り切りまくっている。
毎朝8時の4キロのランニングには自らも参加。練習は厳しいし、手を抜けば、叱咤の声が響き渡る。
さらには練習開始と終了前にグラウンドに流れるのは、騒々しいばかりの大音響の軍歌だ。
大下監督は、
「選手のファイトを盛り上げるためさ。終わりごろに流すのは、どうしてもだらけてしまう時間帯だからさ。名案だろ」
というが、評判はよくない。
大下は戦争の航空兵だが、すでに選手たちとは世代が違う。
ベテラン選手の一人は「昼抜き、私語抜き、休み抜き。これが本当の三無主義だよ」と苦笑いしていた。
練習後も確かに門限なしなのだが、練習が厳しすぎ、朝まで飲むなんてとんでもない。外出する選手からしてあまりいないという(ちなみに夫人同伴はなかったらしい)。
ただ、一人マイペースだったのが、張本勲。
大下監督は当初、
「チームのムードを壊すやつはぶっ飛ばす覚悟だ。張本と言っても例外ではない」
と言っていたが、途中から何があったか、“例外”と認めたらしい。
東京が間違って助っ人を獲得したようだ。
アルトマンに匹敵する大型選手で右投げ左打ちと伝えられたロペスだが、マウイ・キャンプに現れたのは、左投げで175センチ程度の選手。「右投げはできないのか」と聞かれ、
「それは僕のいとこのロペスかな」
と笑顔。陽気なプエルトリカンだった。
以前書いた近鉄の公募による三軍制度の後日談があった。
高卒3人、中卒1人が採用。中卒の1人が15歳の近藤義之だった。川崎市の中原中を卒業した近藤はテストに合格し、1月18日から合宿入り。月給は3万円で、そこから用具代、合宿の食費などを抜かれ、手取りは1万6000円ほどだという。
それでも特に使うこともないので、月々5000円ずつ貯金していく予定とのこと。
キャンプイン前夜には背番号71をもらった。
なお以前書いてあったように野球以外にも学業などをしているかは、今回の記事からは分からない、
では、またあした。
<次回に続く>
写真=BBM