プロ野球のテレビ中継が黄金期を迎えた1980年代。ブラウン管に映し出されていたのは、もちろんプロ野球の試合だった。お茶の間で、あるいは球場で、手に汗にぎって見守った名勝負の数々を再現する。 江川のプライド
甲子園での江川と掛布の対戦
「フォアボールっていう選択は僕の中にはないんですね。そこに先発として、四番として選ばれて、恥ずかしいことはできない、っていうのはあるんですよ。だから歩かせられないですよね。全力でやっていくしかないんです。だから、お互いに、気の抜けたボール、気の抜けたスイングというのは、なかったと思いますよ。真剣に勝負する、最初から歩かせるっていう行為がないっていうことが、もう来てもらった人への、お礼なんですよ。変な話ね、自分がベストボールを投げたのを、もし打たれたのだとしたら、それはいいじゃないですか。そこがポイントだと思うんです」
巨人の
江川卓が振り返る。一方、
「バットが空を切ってもですね、それなりのスイングをしていると思うんですよ。それを上回るボールを投げてきただけですから。ピッチャーが全力で投げたボールをバッターが全力で打つ。単純な、投げて打つんだ、という、すごく分かりやすい対決があったほうが、野球の魅力を感じるんじゃないですかね」
阪神の
掛布雅之は、こう振り返っている。
1980年代の名勝負で、個と個の対決で最も記憶に残るものを挙げるとすれば、この江川と掛布の真っ向勝負になるのではないか。下位打線への“手抜き”で批判されることもあった江川も、掛布に対してはウイニングショットのインハイへのストレートを投げ続け、掛布もフルスイングで応えた。
巨人と阪神という伝統のチームで、それぞれがエースと四番打者。試合の勝敗を決めるような場合ではなくても、この2人の対決はファンを熱狂させた。同学年で、ともに最大のライバルとして名を挙げる2人。初対決の79年から通算185打席で対戦し、167打数48安打、14本塁打、21三振で、打率.287。死球はゼロで、四球は13、そのうち故意四球と記録されているものは、わずか3に過ぎない。もしかすると、打った、打ち取られた、という以上に、敬遠の場面が記憶に残っているというファンもいるのではないか。少なくとも掛布の記憶には、最初の敬遠は深く刻み込まれている。
掛布の記憶
「江川は無四球試合の記録が懸かっていたと思うんです。1点差で2アウト二塁ですか。そこで敬遠のボールを見たとき、このピッチャーはすごいんだ、と思いましたね。目の前を浮き上がっていくようなボールを投げるんですもん。『なんちゅう敬遠のボールを投げるんだ』と。(のちに)新庄(剛志。阪神ほか)が敬遠球を打つなんて、そんなもん無理、無理(笑)。あのときは怖さを感じました」
掛布の記憶は正しい。それは82年9月4日、甲子園球場での対決。1回裏に阪神は
真弓明信の先頭打者本塁打で先制したが、続く2回表に巨人が逆転、3回表、6回表にも1点ずつ追加したが、その裏に掛布の適時打などで阪神も1点差に詰め寄っていた。
そして8回裏。
北村照文を二塁に置いて、それまで無四球で投げていた江川に敬遠のサインが出たのだった。結局、この1四球のみで江川は完投で18勝目をマークしている。
1982年9月4日/阪神−巨人23回戦(甲子園)
巨人 021 001 000 4
阪神 100 002 000 3
[勝]江川(18勝8敗0S)
[敗]伊藤(7勝9敗0S)
[本塁打]
(巨人)ホワイト10号
(阪神)真弓13号
写真=BBM