週刊ベースボールONLINE

夏の甲子園名勝負

清原2本塁打、桑田の完投で“KKコンビ”有終の美/夏の甲子園名勝負

 

いよいよ第101回大会を迎える夏の高校野球。1915年、つまり大正4年に始まり、昭和、平成という時代を経て、この夏が令和最初の大会でもある。昨夏、平成最後の大会となった100回までの長い歴史の中で繰り広げられた名勝負の数々を、あらためて振り返ってみる。

異次元の強さを見せたPL学園


最後の夏、甲子園優勝を飾った桑田(左)、清原


「甲子園は清原のためにあるのか!」

 朝日放送の植草貞夫アナウンサーが絶叫したのは、1985年の夏、決勝の6回裏だった。PL学園高の清原和博(のち西武ほか)が2打席連続本塁打。この大会5本目となるソロ本塁打で、1大会5本塁打は当時の新記録でもあり、そして春夏通算13本目となる本塁打でもあった。だからと言って、もちろん、甲子園は清原のためにあるはずはない。だが、後世にも語り継がれる名言と評されるほど多くの人が共感したのも確かだ。1年生の夏から四番に座って優勝デビュー。以降、最も注目を集めた高校球児だったことも間違いない。

 ただ、PL学園が甲子園を席捲し続けた要因は、清原だけではない。同じく1年生でエースとなった桑田真澄。いわゆる“KKコンビ”が投打の軸となり、そして2人にとって最後の夏となった85年、PL学園は異次元の強さを見せる。初戦の2回戦は毎回得点、大会新記録となる32安打29得点で東海大山形を完膚なきまでに叩きのめし、最後は清原がマウンドに上がる余裕まで見せた。

 3回戦は桑田が津久見を完封、準々決勝でエースの中山裕章(のち中日ほか)を擁する高知商に快勝すると、準決勝では甲西に13点差の大勝。まったく危なげない戦いぶりで、当たり前のように決勝まで勝ち進んできた。

 対する宇部商は左腕の田上昌徳、右腕の古谷友宏の左右両輪に、決勝で初めて四番に座った藤井進は大会4本塁打と、ここまで清原を上回っていた。春夏を通じて初めて決勝までコマを進めた宇部商。下馬評も当然、PL学園が有利とする声が圧倒的だった。この宇部商が“絶対的王者”を相手に健闘を見せる。

最後は主将の松山がサヨナラ打


 宇部商は2回表、四球と盗塁、犠飛で1点を先制。投げては大会初先発の古谷が3回まで無失点と好投を見せる。だが、4回裏、先頭で四番の清原が藤井に並ぶ大会4号ソロ本塁打を放って同点に追いつくと、試合の流れが変わった。

 5回裏には一番の内匠政博が適時打を放って1点を勝ち越し。それでも宇部商は直後の6回表、先頭で二番の河村宏治が内野安打で出塁すると、一死から藤井が中堅を守る内匠の頭上を越える適時三塁打。続く五番の田上が犠飛を放ち、逆転に成功する。

 その裏に飛び出したのが清原の同点ソロ本塁打だ。そして同点のまま9回裏二死二塁、主将で三番の松山秀明(のちオリックスほか)がサヨナラ打。甲子園を席捲した“KKコンビ”最後の夏は、最高の形で終わった。


1985年(昭和60年)
第67回大会・決勝
第14日

宇部商  010 002 000 3
PL学園 000 111 001X 4

[勝]桑田
[敗]古谷
[本塁打]
(PL学園)清原2

写真=BBM
週刊ベースボール編集部

週刊ベースボール編集部

週刊ベースボール編集部が今注目の選手、出来事をお届け

関連情報

みんなのコメント

  • 新着順
  • いいね順

新着 野球コラム

アクセス数ランキング

注目数ランキング