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プロ野球1980年代の名勝負

星野ドラゴンズ初優勝!(1988年10月7日、中日×ヤクルト)/プロ野球1980年代の名勝負

 

プロ野球のテレビ中継が黄金期を迎えた1980年代。ブラウン管に映し出されていたのは、もちろんプロ野球の試合だった。お茶の間で、あるいは球場で、手に汗にぎって見守った名勝負の数々を再現する。

星野監督2年目の中日


優勝が決まり、星野監督が胴上げされたが、興奮したファンがグラウンドへ


 1986年オフ、39歳で中日の監督に就任した星野仙一は、就任のあいさつで、「覚悟しろ」と語った。谷沢健一に引退を促し、星野を兄と慕うクローザーの牛島和彦や、“ピラニア”上川誠二ら4人を放出して、ロッテから三冠王3度の落合博満を獲得。「巨人に落合を取られたら数年は勝てない。なんとしてもウチが取って、天下の耳目を中日に集めてやる」という思いもあったが、それも、「こんな“ぬるま湯”に浸かっているとドラゴンズはダメになる」という一心からだった。

 就任1年目は、5月には首位にも立ち、後半戦も1.5ゲーム差に迫るなど健闘したものの、巨人の優勝を許す。ただ、頂点にこそ届かなかったが、戦う集団に変貌したのは確かだった。そして迎えた就任2年目の88年。今度こそ優勝を、と意気込んだが、いきなり誤算が続く。開幕投手の小松辰雄は右ヒジを痛め、落合は例年にない絶不調。4月は5勝11敗と最下位に沈んだ。

 5月13日には2位に浮上したが、すぐに陥落。5月を5位で終えると、6月1日の巨人戦(東京ドーム)で、ついに落合を四番から外す。これがチームの起爆剤となったのか、落合は翌2日から2試合で3本塁打、7日からは2試合連続本塁打を放ち、中日も4日の阪神戦(ナゴヤ)から5連勝で3位に浮上、7月に入って6連敗を喫して一時4位に転落したが、その後2度の6連勝、ついに29日には首位に立った。

 8月10日からは破竹の7連勝。25日には本拠地のナゴヤ球場で巨人と激突して小松が完封、その息の根を止めると、30日からは再びナゴヤ球場で2位の広島に連勝、31日には落合が8月3度目のサヨナラ打を放って、マジック25が点灯した。9月は5連勝、4連勝と順調にマジックを減らしていく。そして迎えた10月7日のヤクルト戦(ナゴヤ)。プレーボール早々、中日打線が爆発する。

最後を締めたのは功労者の郭


 1回裏、まず彦野利勝が先頭打者本塁打。続く山田和利中尾孝義が連続四球で、8月3日から四番に復帰していた落合が3ランを放って、4点を先制する。続く2回裏には二死から山田の三塁打に続いて、中尾の適時二塁打、落合の適時打で2点を追加。5回裏にも川又米利の3ランが飛び出す。そして6回裏には、この日2本目となる彦野のソロで、10点の大差をつけた。

 投げては先発の杉本正が5イニングを無失点に抑えると、6回表からは鹿島忠上原晃鈴木孝政近藤真一とリレー。7回表に上原が小川淳司に3ランを許したが、その裏には打線が落合の二塁打から1点を追加してヤクルトを突き放した。

 9回表からマウンドに上がったのは郭源治。最終的にプロ野球記録を更新する44セーブポイントでMVPに輝く絶対的クローザーだ。この回を郭は三者凡退、最後は空振り三振に斬って取ると、雄叫びをあげて捕手の中村武志と抱き合った。だが、そこで興奮したファンが乱入。安全のため監督インタビューなどのセレモニーは、すべて中止となっている。


1988年10月7日
中日−ヤクルト25回戦(ナゴヤ)

ヤクルト 000 000 300 3
中日   420 031 10X 11

[勝]杉本(5勝6敗0S)
[敗]ギブソン(6勝9敗0S)
[本塁打]
(ヤクルト)小川5号
(中日)彦野12号、13号、落合31号、川又6号

写真=BBM
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