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高校野球リポート

佐々木朗希が背負った十字架と高校野球の運営法に投じた一石

 

不穏な空気を察して切り上げた囲み取材


大船渡高は花巻東高との岩手大会決勝で敗退(2対12)。佐々木(左から2人目)の登板はなく、35年ぶり2度目の甲子園出場はならなかった


 12時、試合開始1時間前のメンバー交換。先発オーダー表が配布されると、200人近くの報道陣からは驚きの声が上がった。

 7月25日、岩手県営野球場。甲子園をかけた決勝でエースが先発回避。ある意味で「前代未聞」の投手起用だ。大船渡高・佐々木朗希(3年)は花巻東高との岩手大会決勝で登板機会なく、2対12で敗退して、35年ぶり2度目の甲子園出場を逃している。

 國保陽平監督はその理由を「故障を防ぐため」と語った。盛岡四高との4回戦では延長12回、194球を投げている。翌日の準々決勝(対久慈高)は登板を回避し、中2日で迎えた準決勝(対一関工高)では130球を投げ、9回完投している。そこで、疑問だ。序盤から優位に試合を進めていたこの準決勝で途中降板、または、準々決勝のように控え投手でしのぎ、決勝を万全のコンディションで臨ませる選択肢もあったはず、だ。この点について指揮官はこのように言及する。

「準決勝を勝つため、中2日で行かせた。中2日だからいい、というわけではありませんが、投げられる状態だったので、まず、決勝に進出するために佐々木を起用しました」

 決勝朝。國保監督はグラウンドだけではなく、佐々木を一教員として学校生活も2年半見てきた「観察評価」により、登板回避を選択したという。佐々木は夏における連投を想定して練習を積んできたが、指揮官は踏み出す勇気がなかった。「今までの3年間で一番、壊れる可能性が高いかな、と。大会の疲労、練習試合よりも大きいものがある。『投げなさい』と言えば、投げたとは思うんですけど、私にはその決断ができなかった」と明かしている。

 試合直後の國保監督の取材はグラウンド内、三塁ベンチ前で行われた。対する一塁側では花巻東高の場内の優勝インタビュー。くっきり明暗が分かれた中で、ネット裏の観衆から「甲子園に行きたかったのか!」とヤジが飛んだ。その発言を受けて、ほかの観衆が「そんなこと言うものではない」と応酬。

 すべて、國保監督の耳には入っている。グラウンド取材は閉会式まで、と設定されており、まだ残された時間はあった。しかし、國保監督「このあたりでいいですか?」と、自ら囲み取材を切り上げている。不穏な空気を察知した上での行動であった。

 負けた事実は、結果として受け止めるしかない。閉会式後の取材で、佐々木は「監督の判断なのでしょうがないです。自分が投げたから勝てる、というわけでもないので……。それは結果論」と語った。國保監督の決断については「すごくありがたいことだと思っていますし、その分、自分の将来は活躍しなきゃな、と思います」と、大人の対応に徹している。高校野球界で「球数制限」が議論されている昨今「令和の怪物」のコメントは、一つひとつに影響力がある。100人近いメディアが取り囲んだ中で「本音」は押し殺し「建前」を言うほかない。

OBは「怒り、涙、笑い」


閉会式後、三塁ベンチ前で整列する佐々木(左から4人目)。悔しさを押し殺していた


 すでに、日本ハムがドラフト1位指名を表明するなど、佐々木は令和元年の「超目玉」。スカウト陣は当然、最も怖いのは「故障」であり、今回の登板回避を歓迎している。今夏、初戦(2回戦)を除く5試合を視察した、東北担当の中日八木智哉スカウトは言う。自身は日本航空高(山梨)の左腕として甲子園に出場し、創価大では4年時、大学野球選手権で初戦から5連投で4強進出。「瞬間、瞬間を大事にしてきた性格」と、自身は喜んで登板過多を受け入れてきたが、現在は立場が異なる。

「賛否両論がある、と。甲子園がかかった試合で、投げたくない投手はいません。ただ、國保監督は(3月の対外試合解禁の)スタートの段階から『ケガをさせない』と言い続けていました。リスクを第一に考えた上での決断であり、理解はできます」

 とはいえ、大船渡高にとって、甲子園出場は学校、地元、家族の皆の「夢」だった。佐々木は最後の夏を前に、岩手にとどまらず、東北全体に勇気を与えたいとの旨のコメントも出している。花巻東高との決勝前、応援席で父兄から話を聞くとこういう反応があった。

「(2011年の)東日本大震災の際には、全国の方々からたくさんの支援物資をいただいた。野球用具もたくさんいただきました。今回、甲子園に出場すれば、野球でその感謝を恩返しできる最高の機会となります」

 國保監督は「最善の策」として、佐々木の「将来」を守った。果たして投げていれば、どうなっていたかは誰にも分からない。だが、残念なことに閉会式時、三塁側の大船渡高応援席は失望感に包まれていた。佐々木の登板回避が理解できない様子だった。ある野球部OBは吐き捨てるように語った。

「正直、(この現実を)何と表現したらいいのか分かりません。(本当に)甲子園に行きたかったのか、と……」

 さらに、感情をむき出しにした。

「怒り、涙、笑い」

 怒りを通り越し、笑うしかない。やり場のない悔しさがあったのだ。佐々木は胸の内を押し殺したが実際、ほかの選手はどう思っていたのか? 國保監督は朝の練習の段階で登板回避を決めたが、ナインに対してはその後、先発表時に初めて伝えている。どんな展開になろうと「ほかの投手で勝ちたかった。使うつもりはなかった」と、救援だけでなく、外野手としての出場も考えていなかったという。「急に100パーセントのスローイングをしたら怖かった。投げた次の日に力強いスイングができるのか、別問題。フレッシュな野手がいったほうが良い」と説明。現場責任者である監督判断で、事前に意見を求める義務はないが、選手たちの動揺は隠せなかった。

「生徒たちに重大な決断、とても大きな一生、心に残るような決断については、僕が引き受けようと思いました。そこは、大人かと。(佐々木は)納得したかどうかは分かりませんが、(その決断を理解するほど2年半)コミュニケーションを取ってきました」

キーワードは「納得」


記者会見では多くのメディアが佐々木を取り囲んだ。自身の思いは胸に秘めて、淡々と決勝の戦いを振り返った


 五番・木下大洋は「本音」を語っている。

「自分的には最後は朗希に投げてほしいのはありましたが、彼には上のステージもある。彼の体を考えると『外れ』ではなかったと思います。納得の上? どうなんですかね……。ちょっと、答えられないです」

 当初は周囲を気にしていたが、やはり、やるせない思いを隠し通すことはできなかった。

「先発発表時? 驚きはありました。ちょっと、相談してほしかったのはあります。皆で甲子園に行きたい。朗希が注目されているからではなくて、チームのエースとして甲子園で投げさせてやりたかった」

 もともと、大船渡高のモットーは「自らで考える野球」。仮に、今回も指揮官から意見を求められれば「昨日、130球を投げて体に張りがあったと思うが、朗希の意見を尊重していたと思う。投げてほしかったのは正直、ある」と、複雑な表情を浮かべていた。今夏は佐々木の圧倒的なパフォーマンスもあったが、準々決勝に象徴されるように、チーム力で決勝まで勝ち進んだのは確か。木下は「朗希がいたから、ここまで成長することができた。感謝したい」と言った。前出の父兄も「朗希によって見られる機会、取り上げていただくことが増え、彼らはそれを励みにしていたことは間違いない」と強調。大船渡高の象徴である佐々木が決勝のマウンドに立っていてほしい。それが、総意であったはずだ。

 甲子園をかけた決勝での「登板回避」は正解であったのか――。その結論はまだ、分からない。ただ、エースが甲子園に挑戦する場さえ与えられず、夢破れるという、事実は残った。かえって、佐々木は重い十字架を背負ったかもしれない。なぜなら、目先の「勝利」よりも「将来」が最優先されたからだ。

「令和の怪物」である佐々木は「球界の宝」とも言われ、高校野球を経て、明るい未来が待っている。今後も周囲の期待に応え、結果を追求することに変わりはない。しかし、今回の敗戦で、より重圧は大きくなり、成功を収めなければ、夢を一緒に追ってきた仲間に恩を報いることはできない。

 今回のキーワードにもなった「納得」について、國保監督は言った。

「う〜ん。まだ、分からない。(納得するのが)何年後かになるのか、分からないですけど……。(今日)投げたら壊れる。投げても壊れない。未来を先に知ることはできない」

 大船渡高の岩手大会準優勝。過密日程を含め、今後の高校野球の運営方法について一石を投じる場となったことは間違いない。

文=岡本朋祐 写真=佐藤博

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