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プロ野球1980年代の名勝負

シーズン55本塁打に迫るバースに江川が真っ向勝負(1985年10月22日、阪神×巨人)/プロ野球1980年代の名勝負

 

プロ野球のテレビ中継が黄金期を迎えた1980年代。ブラウン管に映し出されていたのは、もちろんプロ野球の試合だった。お茶の間で、あるいは球場で、手に汗にぎって見守った名勝負の数々を再現する。

第1打席は左安打、第2打席は四球


バースに対して逃げずに立ち向かった江川


“猛虎フィーバー”の1985年。阪神の優勝が決まったのは10月16日のことだった。その立役者は、やはり三冠王のバースだろう。最終的には54本塁打、134打点、打率.350。この打棒から、阪神ファンからは神様や仏様と並び称されたが、阪神の優勝が決まってからは、その本塁打に注目が集まるようになる。

 当時のプロ野球記録は64年に王貞治巨人)が樹立したシーズン55本塁打。これに並ぶか、あるいは更新するか。バースは優勝が決まった16日のヤクルト戦(神宮)で52号。翌17日の同カードでは53号を放ち、20日の中日戦(ナゴヤ)で54号を放っていた。残すは22日と24日の2試合。ともに相手は王監督の率いる巨人だった。

 すべての選手が職業としているものの、あくまでもスポーツであるプロ野球。試合の勝敗、優勝、そして日本一を全力で争う姿がファンを魅了するのだが、これがタイトルや記録を争うとなると、たびたびファンを失望させる醜態をさらしてきた。この85年、特に本拠地の甲子園球場に巨人を迎え撃った阪神ファンは、目の前で優勝の立役者がプロ野球記録に並ぶ瞬間を見たかったことだろう。それが叶わずとも、敬遠で避けられる場面を見たいファンはいなかったはずだ(現在では敬遠も申告制のため、それすらも貴重なのだが……)。そんな阪神ファンの期待に応えた(?)のが、22日の試合に先発した巨人のエース、江川卓だった。

 三番打者のバースが迎えた第1打席は1回裏。一番の真弓明信、二番の弘田澄男を連続で左飛に打ち取った江川は、二死からバースに挑んだ。2ボール1ストライクからの4球目は左安打に。2回裏に連打と犠打、野選で1点を失った江川は、3回裏一死、走者なしの場面で再びバースと対決。その第2打席はバースをフルカウントまで追い込むも、7球目を見送られ四球となった。

 だが5回裏、先頭打者の真弓にソロ本塁打を浴びると、続く弘田も中安打。バースの第3打席は、それまでの2打席とは比べようもないほどの窮地だったといえる。

第3打席は江川の完勝


 第1打席、第2打席は、本塁打を許さなかったという点では江川に軍配が上がるが、投手と打者の対決としてはバースの連勝だった。そして迎えた第3打席。両雄の真剣勝負は、一瞬で決まった。江川の初球を振り抜いたバースだったが、打球は三塁のファウルグラウンドへ。これを途中から三塁に回っていた岡崎郁がつかんだ。三邪飛。江川の完勝だった。

 だが、江川は続く四番の掛布雅之に四球を与えた後、五番の岡田彰布に3ランを浴び、六番の佐野仙好、七番の平田勝男には連打を許す。後続は断ったものの、この回で降板した。

 ちなみにバースは、24日の巨人戦(後楽園)で斎藤雅樹から1安打を放ったものの、4四球。プロ野球記録には届かなかった。ただ、翌86年には7試合連続本塁打のプロ野球記録に並ぶ。その6月26日の巨人戦(後楽園)でバースに挑んだのも江川だった。バースは第1打席から右安打、右安打、三邪飛、二ゴロ。そして第5打席で決勝弾を右翼席の場外へと放り込んでいる。


1985年10月22日
阪神−巨人25回戦(甲子園)

巨人 000 002 000 2
阪神 010 040 00X 5

[勝]ゲイル(13勝8敗0)
[敗]江川(11勝7敗0S)
[S]中西(11勝3敗19S)
[本塁打]
(巨人)吉村16号、中畑18号
(阪神)真弓34号、岡田35号

写真=BBM
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