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プロ野球1980年代の名勝負

西本が古巣の巨人に意地の初勝利!(1989年5月16日、巨人×中日)/プロ野球1980年代の名勝負

 

プロ野球のテレビ中継が黄金期を迎えた1980年代。ブラウン管に映し出されていたのは、もちろんプロ野球の試合だった。お茶の間で、あるいは球場で、手に汗にぎって見守った名勝負の数々を再現する。

初対決では9回表に勝利を逸す


古巣・巨人を相手に気迫の投球を見せる西本


 プロ野球に限らず、何か、あるいは誰かと戦わなければならないとき、敵が強いというのは難儀なものだ。プロ野球では敗れることを承知で戦わなければならないこともあるだろうが、戦わずして負けることのほうが賢明なことも人生においてはあるのかもしれない。

 ただ、中には、敵のパワーを自らのエネルギーに変換するタイプの人物もいて、敵が強ければ強いほど闘志が燃えさかる一方で、敵が弱い、あるいは敵がいなければ、どうにも元気がなさそうにしている。1980年代のセ・リーグで活躍した西本聖も、そんな男だったのかもしれない。

 巨人時代、ドラフト外から這い上がってきた西本にとって、ライバルは“怪物”江川卓だった。もちろん、敵チームに向かって投げているのだが、戦っているのは江川に対して。だが、その江川が87年オフに現役を引退すると、絶頂期ほどの勢いを失っていた西本は、ますます精彩を欠いていく。そして、首脳陣との確執もあって89年にトレードで中日へ放出されてしまう。

 プロ野球には、基本的に同一リーグでの交換トレードはしない、という了解がある。サインや相手の分析法などをライバルに知られないためというのが第一だが、古巣に牙をむかれてもかなわない、というのもあるだろう。実際、同一リーグで移籍した選手が好成績を挙げるケースは多く、規定投球回に到達した投手は、ほとんどが古巣に勝ち越している。

 筆頭は79年の小林繁だ。巨人に無傷の8連勝を含む22勝で最多勝に輝いたが、これも江川がらみ。いわゆる“江川事件”が原因で、小林の移籍も形式上は江川とのトレードだが、これが純然たるトレードとは違うことは誰もが知ることだ。

 小林のケースを例外とすると、その筆頭に躍り出てくるのは89年の西本だろう。意気消沈したかのように元気がなかった西本だったが、巨人を放出されると、にわかに活気がみなぎってくる。前年の優勝チームへの移籍とはいえ、なんといっても巨人は“盟主”だ。逆風でエネルギーを得た西本は、敢然と巨人に牙をむいていく。

 4月19日、ナゴヤ球場で初対決。このときは9回表に交換相手の1人だった中尾孝義の左安打を皮切りに同点とされ勝利を逃した。必勝を期して臨んだ2度目の対決が5月16日、かつて王貞治の引退試合で登板し、王からファーストミットをもらった思い出もある熊本藤崎台球場で行われた、もちろん巨人戦だ。

7回裏を気迫の三者凡退


 1回表に中日が1点を先制。西本は前日まで打率.471と快進撃を続けるクロマティの前に走者を出さないことをテーマに手堅い投球を続けたが、4回裏二死二、三塁から、かつての女房役で“意外性の男”山倉和博に二塁打を浴びて逆転される。次の打者は投手の桑田真澄だけに、歩かせてもいい場面だったが、ムキになって決め球のシュートを連投したためだった。

 だが、6回表に中日が集中打で逆転。その裏には、またも中尾に適時打を許して1点を返されるも、7回裏は三者凡退に斬って取る。そして左打者が続く8回裏、左腕の山本昌広にマウンドを託した。9回裏は鹿島忠が締めて中日が逃げ切り。「自分が勝ったというよりチームのムードで勝てた」と、どこかホッとした笑顔を見せた西本は、最終的には自己最多の20勝を挙げて最多勝に。プロ15年目のキャリアハイとなった。


1989年5月16日
中日−巨人7回戦(熊本藤崎台)

中日 100 003 111 7
巨人 000 201 000 3

[勝]西本(4勝1敗0S)
[敗]桑田(5勝1敗0S)

写真=BBM
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