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夏の甲子園名勝負

“怪物”江川卓、雨に散る/夏の甲子園名勝負

 

いよいよ第101回大会を迎える夏の高校野球。1915年、つまり大正4年に始まり、昭和、平成という時代を経て、この夏が令和最初の大会でもある。昨夏、平成最後の大会となった100回までの長い歴史の中で繰り広げられた名勝負の数々を、あらためて振り返ってみる。

最初で最後の夏


サヨナラ負けで最後の夏、甲子園を去った江川(中央)


 プロ野球で「史上最速の球を投げたのは誰か」という話題になると、必ずといっていいほど名前が挙がる江川卓(のち巨人ほか)。ただ、それはプロになってからの姿ではない。法大でも通算47勝を挙げたが、その大学時代でもない。作新学院での高校時代だ。

 栃木県大会では2度の完全試合を含む9度のノーヒットノーラン、1973年のセンバツでは北陽との開幕試合から19三振を奪い、今治西との準々決勝では20奪三振、計4試合で60奪三振。その快速球に打者のバットがかすっただけで客席がどよめき、本気で投げたら捕手が捕れないという噂さえあった。人呼んで“怪物”。時代が平成となり、令和となって、時代を冠した“怪物”と呼ばれるエースが登場しているが、江川を“昭和の怪物”という声は、あまりない。時代すら超越した“怪物”と思えるほど、その快速球は衝撃的だった。

 73年の夏、第55回大会は、高校3年生となる江川にとっては最後のチャンス。そこで初めて手にした夏の甲子園への切符だった。そして、その道筋には、のちの姿を予感させるかのように逆風が吹く。柳川商との1回戦から試合は延長戦に突入、それでも15回を江川が完投し、その15回裏に作新学院がサヨナラ勝ち。2回戦へとコマを進める。その2回戦では逆風に加え、雨も打ちつけた。

 対するは銚子商。近隣の千葉県に位置する銚子商とは練習試合で何度も戦っており、他校のように“怪物”に対して委縮することもなく、苦手意識が薄くなっていることを、江川も感じていたという。

 銚子商の“黒潮打線”は1回裏に先頭打者が三振を奪われ、そのまま三者凡退に抑えられたが、2回裏一死から初安打。その後も3回表、6回表、7回表には先頭打者が安打で出塁、7回表は連打で江川を攻め、犠打で一死二、三塁とするなどチャンスを作った。だが、そこから江川は2連続三振に斬って取るなど、いざとなったら三振を奪って得点を許さない。

 対する銚子商も、2年生エースの土屋正勝(のち中日ほか)が力投を続ける。たびたび四球で走者を出したが、被安打は江川より少なく、もちろん無失点。両チームともゼロ行進のまま、試合は延長戦へと突入していく。作新学院にとっては2試合連続となる延長戦だった。

169球目の悪夢


 雨が“怪物”に牙をむいたのは延長12回裏だった。1安打2四球で一死満塁のピンチ。それでも江川は3ボール2ストライクまで打者を追い詰める。振り続く雨の中、マウンドには江川を囲むように作新学院ナインが集まってきて、こう江川に声をかけたという。

「お前の好きな球を投げろ」

 チームメートの声に押されて投げ込んだ江川の169球目はストレート。だが、雨で手が滑ったのか、指が掛からず高めへと大きく外れ、ボールに。悪夢のサヨナラ押し出しで、“怪物”の高校野球は幕を閉じた。

 一方、銚子商の土屋も延長12回を投げ抜いて、被安打4、与四球5、12奪三振で作新学院を完封。その投じた球数は、奇しくも江川と同じ169球だった。


1973年(昭和48年)
第55回大会・2回戦
第8日 第3試合

作新学院 000 000 000 000 0
銚子商  000 000 000 001X 1
(延長12回)

[勝]土屋
[敗]江川

写真=BBM
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