7月19日の
オリックス戦(メットライフ)で史上20人目の通算400本塁打をサヨナラアーチで飾った
西武の中村剛也。その後も本塁打がポンポンと飛び出し、26日の
日本ハム戦(同)では
巨人の
阿部慎之助を抜いて、現役最多となる通算403本塁打もかっ飛ばした。打点もリーグ2位の76。プロ18年目、8月15日に36歳となるが、まだまだ主力打者として打線をけん引していってくれそうだ。
息の長い長距離砲だが、中村のプロ初本塁打は2004年7月24日の近鉄戦(西武ドーム)。
山村宏樹から左翼席へ2ランを運んだが、これはプロ2年目のことだ。この年は2本塁打も翌2005年に22本塁打。2006、2007年は9本塁打、7本塁打と伸び悩んだが、
渡辺久信監督(現GM)が就任した2008年、「三振かホームランでいいから、たまにホームランを打ってくれ」と伸び伸びとプレーできる環境を与えられると、46本塁打を放ってタイトルを獲得。ここから一気にアーチストとしてブレークしていくことになる。
そんな成長曲線を描いた中村だが、実は本塁打よりも先に18年で通算24個に終わっている盗塁を先に一軍でマークしている。1年目、2003年のことだ。当時は
伊原春樹監督だったがシーズン終盤、
鈴木葉留彦二軍監督の推薦を受けて中村を一軍へ上げた。9月28日の日本ハム戦(東京ドーム)がプロ初出場。伊原監督はいきなり「四番・一塁」でスタメン出場させた。プロ初打席で
ミラバルから中越え適時二塁打を放ち、大器の片りんを見せつけた中村。3試合目となる10月1日のオリックス戦(ヤフーBB)で“そのとき”は訪れた。
「七番・DH」でスタメン出場していた中村だが、3打席目までは空振り三振、右飛、空振り三振で無安打。8回二死で迎えた第4打席は四球を選び出塁した。
ここで伊原監督はコーチに耳打ちした。「あいつはマルマルとしているけど、足はどうなんだ?」。コーチの答えは「結構、速いですよ」だった。さっそく伊原監督が盗塁のサインを出したら、「ピューンと走って見事に成功しました」。当時から102キロと巨体を誇っていたが、「そんなところからも高い運動能力がうかがえた。それが打席の中でも生かされているのは確かでしょう」と伊原氏は述懐する。
2012年に発行された『ベースボールアルバムNo.32中村剛也』の中に大阪桐蔭高時代の中村を回顧する記事があるが、そこにもこんな記述がある。
“中村が1年生の時、体育の先生はきまって西谷監督に「中村はすごいぞ。動けるブーチャンや」と授業の報告をしてきたという。バレーボールでは強烈なアタックを決め、バスケットでは軽快なドリブルにスナップを効かせたシュート。野球部においても、2年秋の盗塁数がチーム2位の19個だったことからも、俊敏さがうかがえる”
当たり前のことかもしれないが抜群の運動神経を土台に、打撃を極めていったからこそ、中村は400本塁打という偉業を成し遂げられたのだろう。
文=小林光男 写真=BBM