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夏の甲子園名勝負

試合の流れを一変させた松坂の救援登板/夏の甲子園名勝負

 

いよいよ第101回大会を迎える夏の高校野球。1915年、つまり大正4年に始まり、昭和、平成という時代を経て、この夏が令和最初の大会でもある。昨夏、平成最後の大会となった100回までの長い歴史の中で繰り広げられた名勝負の数々を、あらためて振り返ってみる。

明徳義塾は藤本がサイクル安打


奇跡の逆転サヨナラ勝利を収め、歓喜に沸く横浜ナイン


 1998年の夏、準々決勝で250球、延長17回を投げ抜いて完投勝利を収めた“平成の怪物”松坂大輔(のち中日ほか)。その翌日、明徳義塾との準決勝は、さすがに疲労が考慮され、先発登板が回避された。代わって先発のマウンドに立ったのは2年生で左腕の袴塚健次。松坂は右ヒジにテーピングを巻いて左翼の守備に就いた。

 対する明徳義塾は、関大一との準々決勝で11得点を奪うなど、4試合で29得点の強力打線。松坂の登板なしに勝てるのか。そんな思いはファンだけでなく、横浜ナインにもあっただろう。そして試合は、その不安が的中するかのように、明徳義塾の優勢で進む。

 それでも、そんな明徳義塾の打線を相手に袴塚は力投。3回表まで5安打を許すも、どうにか無得点で抑えこむ。だが、4回表には一死から連打を浴び、二死としたものの、そこから適時打を許して1点を先制される。

 さらには5回表、先頭で一番の藤本敏也が、二死からは五番の谷口和哉が、ともに左翼を守る松坂の頭上を越える本塁打。3点を失って、イニング途中で同じ2年生で右腕の斉藤弘樹にマウンドを託したが、6回表には立て続けに二塁打、三塁打を浴びて1点を追加される。

 一方、横浜の打線はエースの寺本四郎(のちロッテ)の前に沈黙。四番の松坂も6回裏一死から右安打を放ったのみで、7回裏まで無得点に抑え込まれた。7回表は3者三振の好投を見せた斉藤も8回表につかまる。二死から藤本が適時三塁打を放ち、これでサイクル安打を達成。明徳義塾は6点差にリードを広げた。

 だが、迎えた8回裏、横浜の反撃が始まった。三番の後藤武敏(のちDeNAほか)、四番の松坂が連続適時打で2点を返して寺本をノックアウト。代わったサイド右腕の高橋一正(のちヤクルト)は二死を奪うも、打席に代打の柴武志を迎えた場面で、高橋の暴投で三走の後藤が、柴の適時打で松坂が生還して2点差に詰め寄った。そして9回表。右ヒジのテーピングをむしり取り、松坂がマウンドへ。これで球場の雰囲気が一変した。

9回二死満塁からのサヨナラ劇


 松坂は先頭で三番の町中秀吉から三振を奪うと、四番の寺本には四球を与えたものの、五番の谷口を併殺に打ち取る。

 その裏、横浜は野選もあって無死満塁の好機を作ると、後藤の2点適時打で同点に。ここで一塁を守っていた寺本が再びマウンドへ。だが、松坂が犠打で送り、敬遠で再び満塁。二死から、柴のハーフライナーは二塁の頭上を越えるサヨナラ打に。崩れ落ちる明徳義塾ナインとは対照的に、前日は涙も見せた横浜ナインは歓喜に沸いた。


1998年(平成10年)
第80回大会・準決勝
第16日 第1試合

明徳義塾 000 131 010 6
横浜   000 000 043x 7

[勝]松坂
[敗]高橋
[本塁打]
(明徳義塾)藤本、谷口

写真=BBM
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