昨年、創刊60周年を迎えた『週刊ベースボール』。現在、(平日だけ)1日に1冊ずつバックナンバーを紹介する連載を進行中。いつまで続くかは担当者の健康と気力、さらには読者の皆さんの反応次第。できれば末永くお付き合いいただきたい。 二刀流・永淵洋三登場!
今回は『1968年5月6日号』。定価は60円。
V9巨人の80種類と言われるサイン。どうせテレビに全部映っているのだから分析してみようという企画があった。
そもそも巨人のサインは
川上哲治監督が口にしたものを傍にいる選手が発信するところから始まる。
前年までは、これを
須藤豊がやっていたが、この年から二軍にコーチがメーンになったので別の人間になるという。ただ、67年の須藤はまだ、選手で37試合に出場していた。
攻撃の際の伝達経路は、川上─須藤─
牧野茂。守備の際は、川上─須藤─牧野─
王貞治、森昌彦になるという。
たとえばの例があった。
4月20日の
阪神戦、高田繁が四球で出塁すると、牧野コーチは左手で帽子のひさしをさわり、その後、左手で右手のそで、マークと触った。
これを見た打者・
黒江透修は1球目からバント。ただ、これがファウルになった。
最初の帽子のひさしは誰に対してなのかのサイン(巨人は攻撃時、打順一番から三番、四番から六番、七番から九番と3つのグループに分けていたという)で、二番目が実際のバントのサイン、三番目はごまかしではないか、と推察していた。
次は右手で帽子のひさしをさわり(左右の手は関係ないようだ)、その手で二度口に触れ、次がマーク。これで黒江はヒッティングに転じ、凡打。つまり二度口に触ったのが、バント取り消しということだ。
ただ、同じサインでもグループが変わるとパターンが変わり、四番の
長嶋茂雄からのグループは、胸のマークにさわるのが、「次がサインだぞ」という予告のようだ(長嶋がどこまで覚えていたかは定かではない)。
牧野が最後に両手をパチンとたたいた際は、「いまのサインは偽装。前のサインのままでいいぞ」らしい。
さらにバントに限っては、一度サインが出た後、どんなポーズをとったにしても、それが「取り消し」でない限り、バントのサインのままだという。
守備中は一塁の王が捕手の森にサインを送り、森が他の野手に伝える。これはマスクの何番目かの金具に触ったら、バントシフト、ミットを2回たたいたらけん制とか、少しシンプルで外野手にも伝えてある。
ONには基本的にサインがないというが、盗塁の際はそのサインを見て自然と「待つ」になっていたという。
実際、前年オフの契約更改で
柴田勲が、
「ONのようにノーサインで野球ができたら俺の打率はもっとアップしている。その点を契約更改で含んでほしい」
と要求していた。
パ・リーグでは
三原脩監督率いる近鉄がスタートダッシュ。ボレス、
土井正博、ロイのクリーンアップ、若きエース、
鈴木啓示の活躍もあったが、注目は新人・
永淵洋三だ。
初登板は4月7日、西鉄戦で3対3の7回に登板し、1イニングを3人でピシャリ。
12日の阪急戦では0対4とリードされた5回に登板し、3回を1安打ピッチング。打っても第1打席にドラッグバント、第2打席にライト前ヒット。さらに、3イニングを投げた後、ライトに入った。
16日の東映戦。1対3の2回裏に代打で登場し、ホームラン。その後、2回と3分の2を投げてライトに入った。
そう、二刀流である。
本人は、
「試合に出ることが一番大事なことでしてね。どんな使われ方だって、僕は感謝していますよ」
と話していた。
南海の身売り話のウワサがあった。
発端は3カ月前の南海電鉄の大事故。運輸省から経営の合理化を求められ、話の俎上に球団経営の赤字が挙がったことで、そういうウワサになったらしい。
では、またあした。
<次回に続く>
写真=BBM