昨年、創刊60周年を迎えた『週刊ベースボール』。現在、(平日だけ)1日に1冊ずつバックナンバーを紹介する連載を進行中。いつまで続くかは担当者の健康と気力、さらには読者の皆さんの反応次第。できれば末永くお付き合いいただきたい。 三原監督の二番最強打者論
今回は『1968年6月3日号』。定価は60円。
いくつか事件(ウワサ)が紹介されていた。
まずは「東京身売り騒動」。
東京の永田雅一オーナーが、またラッパをふいた。
「オリオンズは身売りすることはない。しかしタイアップはあり得る」
さらに5月10日には、サントリー、松下電器、三洋電機、ペプシコーラと具体的に会社名も挙げ、「サントリーがもっとも有望」とも語った。
サントリーに聞くと、「話はありません」だったが、運動部ではなく、経済部のスクープらしく、交渉自体はあったのでは、と書いてあった。
2つめは「森安泥酔騒動」。
東映の
森安敏明が福岡での遠征中、深酒を食らって、午前3時にホテルへ。これ自体は「ノー門限」の東映では問題ない(すでに20歳でもあった)。
しかし、この後、同室の選手を起こし、「水もってこい」「ジュース買ってこい」とわめき、怒って言い返した選手の顔面にパンチ。そのまま取っ組み合いとなった。
ほかの選手が止めに入っても収まらず、最後は
張本勲を呼んで一喝してもらい、ようやく大人しくなったらしい。
大下弘監督は、森安になんの処分もせず、ナインの間で批判の声が上がった。
好調を維持する近鉄の
三原脩監督が打順について話していた。
今はやりの「二番打者最強論」である。
抜粋しながら紹介する。
「逆三角形打線とは、チームの最強打者を一番に置き、以下九番に一番打てない選手を置く打順である。これだと強打者がたくさん打席に入るという利点がある。ただし、反面、最強打者の前に一番弱い打者がいるということで、最強打者が力を十分に発揮する舞台準備ができない。
そうなると、そんな極端な形ではなく、今まで三、四、五番を打っていた打者を一、二、三番に配置。さらに今まで一、二番を打っていた打者を八、九番に据えたらどうかという着想が浮かぶ。二番打者最強論である」
5月16日、
中日が日本球界初のノースリーブユニフォームをお披露目。アンダーシャツがピンクと派手なもので、選手たちはかなり恥ずかしそうだった。
これは数号先で表紙写真にもなっているので、お楽しみに。
本誌合併号で暇だったこともあり、土曜日もアップしました。
だからというわけではありませんが、前年同様、担当者はあすからしばらくお盆休み。8月15日から再開予定です。
<次回に続く>
写真=BBM