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夏の甲子園名勝負

1イニング大量得点の応酬で春の王者が初戦敗退/夏の甲子園名勝負

 

いよいよ第101回大会を迎える夏の高校野球。1915年、つまり大正4年に始まり、昭和、平成という時代を経て、この夏が令和最初の大会でもある。昨夏、平成最後の大会となった100回までの長い歴史の中で繰り広げられた名勝負の数々を、あらためて振り返ってみる。

仙台育英が6点、浦和学院は8点


仙台育英は9回裏、熊谷がレフト線への二塁打を放ち、小野寺が生還してサヨナラで激闘に決着をつけた


 第100回の決勝は、旋風を巻き起こした金足農と大阪桐蔭の激突だった。最終的には大阪桐蔭の春夏連覇で幕を閉じたが、迎えた第101回、夏の甲子園に、この両校の姿はない。こうした“番狂わせ”も、高校野球の醍醐味なのかもしれない。無名校にも大金星を挙げるチャンスどころか、全国の頂点に立つ可能性が皆無ではないことは歴史が証明している。

 さかのぼること6年前、2013年の夏。この年の春、決勝で大量17点を奪って圧勝して頂点に立ったばかりの強豪が、初戦で姿を消した。その浦和学院と、仙台育英との1回戦。優勝候補の筆頭と、東北きっての強豪が激突した初戦は、豪快なシーソーゲームとなった。

 先制したのは浦和学院。1回表一死から、敵失と二塁打で、たちまち1点を奪う。ここまでは、ごく一般的な光景だ。その裏、試合の様相が一変する。浦和学院の2年生エースで左腕の小島和哉(現・ロッテ)は、一番の熊谷敬宥(現・阪神)に中安打を浴びると、そこから連続四球で、自ら無死満塁のピンチを招く。四番の上林誠知(現・ソフトバンク)からは三振を奪ったものの、死球、四球と連続で押し出し。二死からも四球を与え、さらに2連打を浴びて打者一巡、一挙6点を許してしまった。

 2回は浦和学院が3人、仙台育英が4人で攻撃を終えたが、続く3回表、ふたたび試合が荒れ始める。先頭から二塁打、死球、二塁打、四球。三振で一死も二塁打、また三振で二死からも二塁打、そこから1四球を挟む4連打で、浦和学院が大量8点を奪って逆転に成功した。

 4回表は死球に犠打、適時打で、さらに浦和学院が1点を追加。リードを4点差に広げる。5回は両チームの投手が好投。表は3回の途中から救援登板した馬場皐輔(現・阪神)が浦和学院を、その裏は小島が仙台育英を、ともに三者凡退に斬って取る。

 6回表の浦和学院は1死球のみで攻撃を終えたが、その裏、仙台育英は先頭の馬場が反撃の口火を切る中安打を放つと、一死から熊谷の犠打が失策を呼び、そこからも連打で、この回4点。試合は振り出しに戻る。ただ、この回は四死球で乱れた1回裏、3回表とは違っていた。試合は一転、投手戦の様相を呈し始める。

9回裏に訪れた体力の限界


 7回は表が3人、裏は4人で攻撃が終了。8回は表裏ともに先頭打者が安打で出塁、裏は四球、死球と無死満塁となるも、そこから小島が3連続三振でピンチを切り抜ける。だが、その小島に体力の限界が迫っていた。

 9回裏。一死を取ったところで足がつった。水分補給とストレッチでマウンドに戻り、さらに一死を奪うも、ここで降板を余儀なくされる。このチャンスを仙台育英は逃さなかった。慌てず、焦らず、決してあきらめない野球をモットーに掲げている仙台育英が、それを実行に移す。二死一塁から熊谷が、この日4安打目となる左翼線への二塁打。乱打戦でもあり、投手戦でもあった激闘は、9回二死からのサヨナラで幕を下ろした。

 182球の熱投も、敗れた小島は、

「試合を壊して申し訳ない」

 と、森士監督の胸で号泣した。


2013年(平成25年)
第95回大会・1回戦
第3日 第4試合

浦和学院 108 100 000 10
仙台育英 600 004 001X 11

[勝]馬場
[敗]小島

写真=BBM

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週刊ベースボール編集部

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