優勝へ負けられないダブルヘッダー
球史に残る名勝負「10.19」と振り返るトークショーとイベントが8月24日、富士通スタジアム川崎(川崎球場)で開催されるという。MCは元
日本ハムの
嶋田信敏氏が務め、トークショー(ブライアント氏、元
ロッテ・
牛島和彦氏、元近鉄・
中根仁氏)、バッティングセレモニー(牛島氏×ブライアント氏)、サイン会・撮影会、スタジアム見学会(旧川崎球場の面影をしのんで)など内容は盛りだくさんだ。
「10.19」とは1988年10月19日、ペナントレース最終日に逆転優勝を期して、川崎球場でロッテとのダブルヘッダーに臨んだ近鉄の激動の1日のことだ。前日までに首位・
西武は73勝51敗6分け(勝率.589)で全日程を終え、追う近鉄は73勝52敗3分け(勝率.584)。優勝への条件はただ一つ、2連勝。負けはもちろん、引き分けとなった時点で近鉄にとって優勝の夢がついえる。
初戦は3対3で迎えた9回表、リリーフエースの牛島からこの年限りで現役引退を決めていた
梨田昌孝が勝ち越し打を放ち、土壇場で近鉄は勝利を引き寄せた。
第1試合終了から23分後、ロッテ・
園川一美、近鉄・
高柳出己両先発投手で第2試合はスタート。当時のパ・リーグは最大12回までの延長戦を原則としてはいるが、4時間を超えると新しいイニングに入らないという規定があり、その4時間が延長戦での試合終了のメドだ。
第1試合同様、2回裏、ロッテがマドロックの本塁打で1点を先制して始まった試合はストライクの判定を巡って
仰木彬監督や
中西太ヘッドコーチが何度もベンチから飛び出して抗議を行うなど、不穏なムードをかもしだしていた。
6回表、近鉄は
オグリビーの中前打で同点に追いつく。ここからはまさにサバイバル。近鉄は続く7回表、
吹石徳一、
真喜志康永の2本のソロ本塁打が飛び出し、ついに2点を勝ち越した。その裏ロッテは
岡部明一が本塁打を放った後、代わった
吉井理人から
西村徳文が適時打を放ち同点にしたが、近鉄は8回表、ブライアントがソロ本塁打を放ち、再びリードを奪った。
近鉄はあと2回を抑えれば優勝、仰木監督がマウンドに送ったのは第1試合に続いて
阿波野秀幸だった。エースの登板に盛り上がる近鉄ファンで埋まった川崎球場だったが、すぐさま
高沢秀昭が左翼席へアーチを架け、ロッテは三たび同点に。
近鉄に立ちはだかった「4時間の壁」
“事件”が起こったのは9回裏だった。ロッテはこの回、先頭の
古川慎一がヒットで出塁。続く
袴田英利の送りバントを阿波野と梨田が譲り合って一塁に生かしてしまう。無死一、二塁。一転してサヨナラのピンチを迎えた近鉄。ここで阿波野が二塁へ牽制球を投じるが、あわや悪送球。高く浮いたボールをジャンプしてキャッチした
大石大二郎が古川と交錯、ジャンプした勢いのまま古川を押し倒すような格好になり、ベースを離れた古川がアウトを宣告されてしまった。
ロッテベンチから
有藤道世監督が飛び出し、「大石が古川を押し出した」と猛抗議。得点は4対4、延長戦となれば、そこに「4時間の壁」がある。すでに試合時間は3時間30分を超え、近鉄にとっては1分1秒が惜しい。
近鉄ベンチから仰木監督が出て有藤監督に訴える。スタンドからは「有藤引っ込め」といった罵声が飛び交った。結局、判定が覆ることはなかったが、有藤監督が抗議に要した9分間は近鉄ベンチにとっては長く、重い。
抗議の後もチャンスを拡大して二死満塁としたロッテは、
愛甲猛がレフト前にヒット性の打球を放ったが、レフト・
淡口憲治が地面スレスレでダイレクトキャッチ。近鉄は延長戦に望みをつないだ。
時間はもうわずかしかない。近鉄に残された攻撃は10回の表だけだ。先頭のブライアントは二ゴロに打ち取られるが、一塁ベースカバーに入った
関清和が送球を後逸し、一塁に生きる。代走は
安達俊也。オグリビーは三振に倒れ、一死。打席にはベテランの
羽田耕一。2球目を打った羽田の打球はセカンド・西村の正面へのゴロ。西村は自らベースを踏んで一塁へボールを送り、併殺の完成。
このとき時間は10時41分。試合開始から3時間57分が過ぎており、ロッテの攻撃を3分で終わらせることは不可能。近鉄には引き分けか敗戦しかなくなり、西武の優勝が決まった。
それでもわずかな可能性を信じて、マウンドに上がった
加藤哲郎は投球練習を省略して、試合を進めようとしたが、無情にも時間は過ぎる。ベンチ中央には仁王立ちした仰木監督がグラウンドをただ見つめていた。
試合終了午後10時56分、試合時間は4時間12分。わずか2厘差で近鉄は優勝を逃した。
球史に残る名勝負を58歳となったブライアント氏がどう振り返るのか。一聴の価値はあるだろう。
ラルフ・ブライアント来日企画 https://peatix.com/event/988484?lang=ja
写真=BBM