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夏の甲子園名勝負

桑田をKO! 取手二が茨城県勢の初優勝/夏の甲子園名勝負

 

いよいよ第101回大会を迎える夏の高校野球。1915年、つまり大正4年に始まり、昭和、平成という時代を経て、この夏が令和最初の大会でもある。昨夏、平成最後の大会となった100回までの長い歴史の中で繰り広げられた名勝負の数々を、あらためて振り返ってみる。

試合の終盤にPL学園が猛追


“KKコンビ”を擁するPL学園を破って頂点に立った取手二


 PL学園の1年生エース、そして1年生の四番打者として1983年の夏に全国の頂点に立った桑田真澄(のち巨人)と清原和博(のち西武ほか)の“KKコンビ”。ともに2年生となった翌84年のセンバツも決勝までコマを進めるも、ここでは岩倉に1点差で惜敗した。

 そして雪辱を期して迎えた夏、第66回大会。PL学園は、やはり圧倒的な強さを見せる。1回戦から3回戦までは14点、10点、9点と大量得点による圧勝。松山商との準々決勝、金足農との準決勝は1点差を制し、接戦での粘り強さも見せた。

 決勝で激突したのは取手二。春夏連続、夏は3年ぶり4度目の出場で、初戦の2回戦で優勝候補の箕島を撃破すると、続く3回戦では福岡大大濠に7点差、準々決勝では鹿児島商工に2点差で勝利、ところが準決勝では鎮西に12点差、18得点の大勝で、勢いに乗って決勝へとコマを進めてきていた。

 その勢いは相手がPL学園でも、“KKコンビ”でも止まらず。取手二は1回表二死から連打で2点を先制。その裏には清原への死球を挟む2安打を浴びるも無失点で切り抜け、いきなり試合の主導権を握る。その後は桑田、取手二の石田文樹(のち大洋)との投手戦となる。2回は、ともに三者凡退。3回からは5回までは毎回、走者を背負うも、無失点で切り抜ける。

 6回表は桑田が取手二を三者凡退。その裏、先頭打者で五番の桑田が二塁打を放ち、反撃の火蓋を切る。だが、敵失と適時打で1点を返したのみで攻撃は終了。続く7回表には二死から内野安打で走者を背負うと、一番の吉田剛(のち近鉄ほか)が左翼席へ2ラン本塁打を放って、さらにリードを広げられた。

 再びPL学園の反撃が始まったのが8回裏だった。先頭の清原が左安打を放ったのを皮切りに、取手二の失策もあって1点差に詰め寄ると、9回裏には先頭打者で一番の清水哲が左翼席へソロ本塁打で同点に。動揺もあったのか、さらに石田は死球を与え、逆転の走者を背負ってしまう。“逆転のPL”の逆転劇が始まったかに見えた。

流れを変えたワンポイントリリーフ


 取手二の木内幸男監督は、ここで石田を右翼へ下げ、柏葉勝己をマウンドへ送る。柏葉が一死を奪うと、打席に清原を迎える場面で、ふたたび石田がマウンドへ。石田は清原を三振、桑田を三ゴロに打ち取る。当時の高校野球では珍しかったワンポイントリリーフが功を奏して、試合は延長戦へ突入した。

 そして10回表だった。内野安打に犠打、四球で一死一、二塁から、五番の中島彰一が桑田から左翼席へ運ぶ3ラン本塁打。完全に息を吹き返した取手二は、続く石田が二塁打、二死から塙博貴が適時打を放って1点を追加して、桑田をマウンドから引きずり下ろした。その裏は石田が無失点で切り抜ける。取手二は茨城県勢として初めて全国の頂点に立った。

 ただ、その後は、今年の第101回大会に至るまで、取手二は春夏を通じて、優勝はおろか、甲子園の土も踏んでいない。


1984年(昭和59年)
第66回大会・決勝

取手二  200 000 200 4 8
PL学園 000 001 021 0 4
(延長10回)

[勝]石田
[敗]桑田
[本塁打]
(取手二)吉田、中島
(PL学園)清水哲

写真=BBM
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