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夏の甲子園名勝負

東北勢の悲願ならず……仙台育英が延長10回に力尽く/夏の甲子園名勝負

 

いよいよ第101回大会を迎える夏の高校野球。1915年、つまり大正4年に始まり、昭和、平成という時代を経て、この夏が令和最初の大会でもある。昨夏、平成最後の大会となった100回までの長い歴史の中で繰り広げられた名勝負の数々を、あらためて振り返ってみる。

大越と吉岡の投手戦は延長に突入


決勝で帝京の前に涙をのんだ仙台育英ナイン


 白河の関とは、現在の福島県白河市にあった関所のことで、江戸時代に活躍した俳人の松尾芭蕉や、その弟子の河合曽良が跡地を訪れて句を詠むなど、その存在は当時から歴史の中にあったが、それが現在、東北の高校球児たちにとっては最大の難所となっている。

 2004年に海路または空路で(?)深紅の優勝旗は北海道に渡ったが、陸路の最北端は栃木県。それ以北、つまり東北地方は、まだ甲子園の頂点に立っていないのだ。古くは偉人や歌人たちが風流を楽しむ舞台だったものが、今や東北の高校球児たちの悲願を象徴する比喩として語られる“白河の関”。平成最後の夏、18年も秋田県の金足農が“金農旋風”を巻き起こしたが、決勝で敗退して、悲願は令和の時代に持ち越された。それ以前、最初に優勝旗が“白河の関”にたどり着いたのは1989年、平成元年のことだ。東北勢の悲願を背負って決勝に臨んだのは宮城県の仙台育英だった。

 エースの大越基(のちダイエー)は鹿児島商工との1回戦に完投勝利を収め、京都西との2回戦を完封。弘前工との3回戦は完投、上宮を圧倒した準々決勝でも完投し、決勝の前日に行われた準決勝では尽誠学園を相手に延長10回、167球を投げ切っていた。そんな疲労困憊の状態で決勝のマウンドへ。対する帝京のエースは吉岡雄二(のち近鉄ほか)。試合は両エースによる投手戦となっていった。

 大越は1回表の先頭からの2連続奪三振を皮切りに、2回表まで2イニング連続で三者凡退。吉岡は1回裏、2回裏と一死から走者を背負うも後続を断ち、3回裏は三者凡退に抑える。大越は4回表に先頭打者に四球を与えるも、後続を併殺に斬って取って3人でイニングを終え、その裏は吉岡が先頭打者に右安打、犠打で二進を許すも、連続奪三振でピンチを脱した。

 その後は両エースとも毎回、走者を背負うも得点は許さず、試合は両チームともにゼロ行進のまま、延長戦に突入していく。そして10回表、それまで力投を続けてきた大越が、ついに力尽きた。

大越は136球、吉岡は126球の力投


 大越は10回表、先頭から中安打、四球、犠打で一死二、三塁のピンチ。ここで三番の鹿野浩司に2点適時打を浴びる。続く四番の吉岡は併殺に斬って取ったが、その裏、打線は吉岡を打ち崩せず。あと1歩で“白河の関”を“越える”ことはできなかった。

 決勝で136球、大会通算838球を投げ抜いた大越の一方で、吉岡は126球の完封勝利。“平成最初”となる夏の優勝は、帝京にとっては初の全国制覇でもあった。


1989年(平成元年)
第71回大会・決勝
第14日

帝京   000 000 000 2 2
仙台育英 000 000 000 0 0
(延長10回)

[勝]吉岡
[敗]大越

写真=BBM
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