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週べ60周年記念

金田正一、「ワシは400勝するまではやめん!」/週ベ回顧

 

 昨年、創刊60周年を迎えた『週刊ベースボール』。現在、(平日だけ)1日に1冊ずつバックナンバーを紹介する連載を進行中。いつまで続くかは担当者の健康と気力、さらには読者の皆さんの反応次第。できれば末永くお付き合いいただきたい。

リリーフ転向は拒否


表紙は巨人高田繁



 今回は『1968年6月24日号』。定価は60円。

 不振が続く巨人・金田正一だが、取り囲む記者は日に日に増えていた。しかも負けた試合の後のほうが多い。

 横綱の引退前と同じだ。金田の口から、その二文字を出るのを待ち構えて、だった。
 それでも金田は、
「400勝するまでは死んでも死に切れん。400勝したときマウンドでばんざいを叫んでグラウンドで引退発表をするんや。それまでは絶対やったるでえ」
 と、あと少しに迫った400勝までは、と燃えていた。

 ただ、そうは言っても負け試合の後は暗くなる。
 6月4日、サンケイ戦で敗れた後、こう言った。
「ワシはこのチームに打たれると、ほんま頭にくるんや。ほかのチームの五倍くらいシャクにさわる。元国鉄やと思うからいかん、新しいサンケイというチームやと思えばいいと人は言うけど、考えてみい。出てくるやつはみんなワシが昔どついたやつばかりや。昔はワシとあまりに身分が違い過ぎて、そばにも寄れんかったやつらばかしやないか。そんなやつらにやられるんやで」
 さすが天皇。怖い言葉がちらほら。
 この時点では、まだ2勝。400勝へはあと14だった。

 それでも1日おいた6日には同じサンケイ戦で5回からリリーフしての勝利投手。金田には前年からリリーフで短い回を投げた際の成功率が高く、周囲からは「リリーフ専門では」という声もあったようだが、
 金田は、
「ワシにリリーフに回れというのか。このワシに」
 と言って、受け入れなかった。


 5月29日から巨人・柴田勲が右投手相手でも右打席で打つようになり、事実上、スイッチヒッターをやめた。右打席の長打力を生かすためで、川上哲治監督も「五番で使っていきたい」と期待を寄せていた。

 では、またあした。
 
<次回に続く>

写真=BBM

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