いよいよ第101回大会を迎える夏の高校野球。1915年、つまり大正4年に始まり、昭和、平成という時代を経て、この夏が令和最初の大会でもある。昨夏、平成最後の大会となった100回までの長い歴史の中で繰り広げられた名勝負の数々を、あらためて振り返ってみる。 2試合連続で先制を許したPL学園
1978年夏、初の全国制覇を果たしたPL学園ナイン
かつて大阪に覇を唱え、その名を全国にとどろかせたPL学園。多くのスター選手を輩出してきた強豪校だが、その最大の魅力は、土壇場での強さではなかったか。当たり前だが、試合で先制点を奪われると、その後の展開は不利となる。そんな状況をくつがえし、たびたび全国の頂点へと駆け上がった。“逆転のPL”。その異名を定着させたのは1978年の夏、第60回大会のことだ。
通算では夏17回、春20回の出場で、夏は4回、春は3回の全国制覇を成し遂げたPL学園だが、この第60回大会は夏6回目の出場。70年、76年の2度、決勝までコマを進めたものの、ともに準優勝に終わっていた。
78年は2度目の春夏連続出場で、センバツでは準々決勝で姿を消したが、夏は初戦の2回戦で日川を破ると、3回戦では熊本工大を、準々決勝では県岐阜商を、エースの西田真次(のち真二。
広島)が連続完封。だが、準決勝は中京に9回表まで4対0と追いつめられた。
逆転のドラマが始まったのは、その裏のことだ。四番打者でもあった西田の三塁打を号砲に怒涛の反撃。一挙4点を奪い同点として、試合は延長へ。そして12回裏、二死満塁から押し出し四球で、サヨナラで決勝の切符を手にした。
その興奮も冷めやらないまま迎えた翌日の決勝。対するは左腕エースで2年生の
森浩二(のち阪急ほか)擁する高知商だった。試合は準決勝と同様、相手チームのペースで進んでいく。PL学園の打線は2回裏まで連続で三者凡退。続く3回表、高知商は連打を含む3安打で2点を先制する。反撃に転じたいPL学園だったが、なかなか森を打ち崩せず、5回裏から7回裏まで3イニング連続で三者凡退。これも準決勝と同様、8回裏まで1点も奪えなかった。
ただ、高知商も4回表からは西田を攻めあぐねていた。9回表も先頭打者が安打で出塁、続く犠打は野選を呼び込み、さらに犠打で走者を進めるなどチャンスを広げたが、無得点に終わる。そして9回裏。準決勝に続き、決勝でもPL学園に奇跡が起きる。
そして2試合連続の逆転サヨナラへ
先頭打者で九番の中村博光が中安打で出塁すると、四球と犠打で一死二、三塁。ここで、捕手で主将の
木戸克彦(のち
阪神)が中犠飛を放ち、まず1点を返す。続いて四番の西田が右翼線への適時二塁打で同点。そして五番の柳川明弘が左中間へ二塁打を放って、西田が生還する。2試合連続の逆転サヨナラでPL学園が初の全国制覇を達成した。
準決勝、決勝という大一番での連続逆転サヨナラ勝利を契機に、“逆転のPL”は浸透。80年代に黄金時代を築いていくことになる。
1978年(昭和53年)
第60回大会・決勝
高知商 002 000 000 2
PL学園 000 000 003X 3
[勝]西田
[敗]森
写真=BBM