昨年、創刊60周年を迎えた『週刊ベースボール』。現在、(平日だけ)1日に1冊ずつバックナンバーを紹介する連載を進行中。いつまで続くかは担当者の健康と気力、さらには読者の皆さんの反応次第。できれば末永くお付き合いいただきたい。 堀内こけたら皆こけた
今回は『1968年7月8日号』。定価は60円。
開幕から熱投を続け、チームを支えてきた巨人・
堀内恒夫に陰りが見えていた。
6月8日から巨人は7連敗で
広島に首位を譲ったのだが、うち堀内で3敗だった。
3敗目の後、スタンドから
「堀内こけたら皆こけた」
とヤジが飛び、客席から笑いが起こったという。
不振の理由の一つは先発、中継ぎ、抑えのフル回転。ただ、疲労からではない。
以下、堀内の自己分析。
「先発のときは力で抑えられる。ぐいぐいと押していけるけど、中継ぎ、しめくくりとやっているうちに、どうしても打たせて取るピッチングになってしまう」
また、解説者は、春のベロビーチキャンプで覚えたチェンジアップの使い過ぎで、本来の真っすぐ主体のピッチングから変化球主体になったからでは、と分析していた。
ただ、天狗っぷりは相変わらずだったようで、6月12日、大洋に敗れたとき、
「ああ、今年の負けはこれで終わりですよ」
と言って、記者たちをあ然とさせたり、
また、少し前の話だが、
中日・
高木守道に死球を与えた際、内心は動揺していたと思うが、
「プロだから」「故意じゃないんだから」
と悪びれぬ態度で言い放ち、ベテラン記者からたしなめられたこともあったという。
昔のプロ野球は鉄拳制裁は当たり前。それでコーチが退任となるのは異例だった(別所事件はあったが、あれは少し背景が複雑)。
しかも、軍隊ムードたっぷりの
鶴岡一人親分率いる南海の話だ。
退任となったのは、二軍の
森下整鎮コーチ。
「南海を愛する気持ちは誰にも負けない。ワシの青春は南海そのものだった」
と語る南海魂の権化だ。
とにかく手が早く、今までも鉄拳制裁は何度もやっていた。一度は翌日の登板が決まっていた投手の右手を殴り、翌日、その投手が右腕の痛みを訴えると、自分が殴ったことをすっかり忘れていたようで、
「どうして腕が痛いんだ。不注意じゃないか」
と怒鳴ったという。
ただ、5月11日は場所がまずかった。
当時の二軍の選手たちは、大阪球場での一軍の試合を勉強のため観戦することがあったが、その衆人環視の中で一人をポカリ。
これが問題となり、鶴岡監督もかばいきれず、スカウトに転向となった。
この話を聞いた
野村克也は、ポツリ、つぶやいたという。
「南海も変わったもんやな」
では、またあした。
<次回に続く>
写真=BBM