昨年、創刊60周年を迎えた『週刊ベースボール』。現在、(平日だけ)1日に1冊ずつバックナンバーを紹介する連載を進行中。いつまで続くかは担当者の健康と気力、さらには読者の皆さんの反応次第。できれば末永くお付き合いいただきたい。 野村克也の連続本塁打王に黄色信号?
今回は『1968年9月16日号』。定価は60円。
高校球界ナンバーワンの静岡商高の左腕投手・
新浦寿夫の大争奪戦が始まった。
定時制を1年終えてから全日制に編入したため、17歳の1年生だったが、夏の甲子園ではエースとして準優勝投手になっている。
当初はまだ1年生ということでスカウトものんびりしていたのだが、韓国籍なので国体に出られないということが分かった途端色めきだった。
すでにドラフト制度は始まっていたが、当時、他国籍の選手は対象外となっていたのだ。
一気に12球団の争奪戦が勃発。
サンフランシスコ・ジャイアンツの原田恒男会長補佐が甲子園に顔を出し、「新浦を獲得したい」と発言したことで、さらに盛り上がった。
それでも当初は家族もすべては学業が終わってからと話していたのが、突然、野球部に退部届を出し、プロ入りに動き出したことが分かった。
有力なのはやっぱり
巨人。何より新浦自身が「金田(正一)さん(巨人)を尊敬している。あんな投手になってみたいし、ジャイアンツは好き」ときっぱり言い切っていた。
7年連続でホームラン王を続けていた南海・
野村克也だが、68年は阪急・
長池徳二、東映・
大杉勝男の
ヤングパワーに加え、東京の
アルトマンも打ちまくりで、何やらあわただしくなってきた。
「ワシも年やからな。若い人たちは勢いに乗ると、すごい馬力を出す。これについていくんはしんどいわ」
と弱気ムードを漂わせながらも、
「何年も続けたタイトルやし、そう簡単にはあきらめられん。プツンと切れてしまえばハリもなくなるし、ワシの野球生命にも影響するやろ」
とも話していた。
もう少しで嫌な事件の主役となる男たちの話もあった。
1人は東映の
森安敏明。お山の大将となってしまい、何かと暴力をふるうので、先輩たちも何も言えなくなっていた。
森安と確執があった金山コーチが、理由は定かではないが、二軍降格となると、
「オレはチームにとって大事な投手なんだ。オレをないがしろにしたやつはああなるんだ」
と言ったらしい。
もう1人は
中日・
小川健太郎。前年の29勝投手だが、この年は調子が悪くないにもかかわらず、肝心な場面で球が甘くなることが多く、勝ち星に恵まれなかった。
二軍落ちが決まったらしいが、モヤモヤする記事だ。
では、またあした。
<次回に続く>
写真=BBM