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なぜ引退の時が迫る福浦和也は「努力の天才」と呼ばれるのか

 

9月23日に引退セレモニーを迎える福浦


 福浦和也の引退の時が近づいている。いわずと知れた“幕張の安打製造機”。ロッテ一筋26年、昨年はついに史上52人目となる2000安打に到達した現役レジェンドだ。

 試合後に引退セレモニーが予定されている9月23日、ZOZOマリンでの日本ハム戦では一軍ベンチ入り選手と監督・コーチ全員が敬意を表して代名詞である背番号「9」のユニフォームで試合に臨むという。ほかにも続々と引退グッズや関連イベントが発表されるなど、いよいよ“その時”が迫っていることを実感させられる。

 週刊ベースボールでも「引退惜別号」を企画。本人に現役最後となるであろう取材をお願いし、縁のある方々に多くの惜別メッセージを寄せてもらった。そこで福浦をよく知る人たちが声をそろえたのが「努力の天才」だということだ。

 福浦自身は「自分に才能なんてなかった」と口にする。柔らかで芸術的なまでのバットコントロールと、コースだけでなく前後の奥行きも含めたヒッティングゾーンの広さを思い出せば、その言葉を鵜呑みにするわけにはいかないが、「野手・福浦」がプロ入り後、すさまじいまでの練習を重ねた末に「作り上げられた」ものであることもまた確かだ。

 福浦は1993年秋のドラフトで「投手」としてロッテに7位指名を受けた。全体最後となる64番目の指名。与えられた「70」という背番号からも、懸けられた期待が決して大きなものではなかったことがうかがえる。そこから打者に転向し、25年をかけて2000安打を達成するというストーリーについて福浦自身は、「信じられない、のひと言ですね。先輩方も周囲も、誰もが『まさか、あの福浦が』と思っているんじゃないですかね」と笑っていた。

 もちろん、入団当時に二軍打撃コーチだった今は亡き山本功児氏が見初めた打撃センスは確かなものだったのだろう。それが花開いての2001年の首位打者獲得であり、同年からの6年連続打率3割であり、2000安打への到達だった。

 だが高校時代、ろくに守備練習も走塁練習もしたことがなかった高卒投手が、外国人大砲をはじめとするライバルが次々に送り込まれる「一塁手」としてレギュラーの座を守り続け、さらに3度のゴールデン・グラブ賞を獲得するに至るには、想像を絶するまでの「努力」があったはずだ。

「活躍すればするほど、練習やトレーニングをしなければ不安だった。それまでと同じことをやっていてもダメ。常に、さらに上を目指していたし、前年以上の成績を残すためには練習せざるを得ない。それが普通だった」

 決して当たり前ではないレベルの努力を、当たり前のように実行し、そして本気でそのことを当たり前だと思える。それが「努力の“天才”」の正体だ。「福浦さんがあれだけやっているのだから、オレたちがやらないでどうする」。チームの若手たちは誰もがそう思っていたはずだ。背中で周囲に与えてきた影響は、計り知れないものがある。

 現在、ロッテはAクラス争いの真っただ中にある。23日の試合も決して“花試合”ではなく、CS進出を懸けた負けられない一戦になるだろう。福浦は「出なくてもいい」と言っていたが、一方で「打席に立つことになれば打ちにいくし、バットが振れる状態には持っていきたい。振らないで見逃し三振が一番カッコ悪いですから」とも口にしていた。「バットが振れる状態に持っていく」ために、これまた信じられないほど振り込んで当日を迎えることは想像に難くない。

「努力の天才」が最後の瞬間に、ZOZOマリンのファンの前でどんな姿を見せてくれるのか。楽しみに待ちたい。

文=杉浦多夢 写真=BBM
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