昨年、創刊60周年を迎えた『週刊ベースボール』。現在、(平日だけ)1日に1冊ずつバックナンバーを紹介する連載を進行中。いつまで続くかは担当者の健康と気力、さらには読者の皆さんの反応次第。できれば末永くお付き合いいただきたい。 東映の堂々の事前交渉?
今回は『1968年12月2日号』。定価は60円。
「公正な選択会議を見てもらうため」(鈴木竜二セ会長)とドラフト会議が初めて報道陣に公開された。
会場は、東京日比谷の日生会館。記者、カメラマン約200人が集まった。
11時15分、まずは抽選順を決める予備抽選。一番を引き当てたのは東映だった。以下
広島、阪神、南海、サン
ケイ、東京、近鉄、
巨人、大洋、
中日、阪急、西鉄になる。
このときは競合なし、いわば「早いもの勝ち」だ。
この後、本抽選まで1時間の休憩となり、会議室で昼食となったが、東映の田沢代表がマスコミの前にもかかわらず、巨人のテーブルにすたすた向かい、「田淵を指名しますので、おたくとトレードどうですか」と仰天発言(本気か冗談かは記事からは分からない)。田淵とは今回の目玉、法大のホームランバッター、
田淵幸一だ。
巨人と相思相愛、それ以外では社会人と明言していた田淵。東映としては指名して断られるより、そちらのほうがと思ったのだろうか。
ルールでは、交渉期限は翌年の10月10日までとだけあったが、いくらなんでも、だ。
巨人の佐々木代表は、
「うちは指名されてもまったく構いませんよ」
とあっさり答えていた。マスコミの前だからか、それだけ他球団が指名しない自信があったのか。
結局、東映は亜大の
大橋穣を指名。こちらも東都きってのホームランバッターだ。二番の広島は地元出身の法大・
山本浩司(浩二)、そして、三番目の阪神が田淵を指名。その瞬間、会場がどよめいた。
実家でそれを聞いた田淵は、「えっ、本当ですか」と絶句し、母親は「幸一がかわいそうで」と涙を流した。
その後、南海が法大・
富田勝、サンケイが
藤原真(鐘紡)、東京は
有藤通世(近大)、近鉄が
水谷宏(鐘紡)、巨人が
島野修(武相高)、大洋は
野村収(駒大)、中日が
星野仙一(明大※初出修正)、阪急は
山田久志(富士鉄釜石)、西鉄は
東尾修(箕島高)を指名して1巡目は終わった。
巨人・前川スカウトは「事前調査もせずに阪神は取れると思っているのか」と憤慨した様子で言いながらも、「うちしか来ないと言っているので、かすかな望みは持っているのだが……」と続けた。
阪神は河西、佐川とスカウトの二頭体制だったが、2人の間に確執があり、河西が富田を1位に推していた分、佐川が反発し、田淵を強行指名したとも言われる。
この後、2巡目が始まる前に、田淵の「阪神には入らない」、大橋の「東映は嫌だ」という談話が届いている。大橋はサンケイか大洋を希望していたという。
さらに、この会議、東京の9巡目指名で、また会場がざわついた。
それについてはまたあした。
<次回に続く>
写真=BBM