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プロ野球20世紀の男たち

藤本英雄、外木場義郎、今井雄太郎……「20世紀を彩った15人の“完全男”」/プロ野球20世紀の男たち

 

プロ野球が産声を上げ、当初は“職業野球”と蔑まれながらも、やがて人気スポーツとして不動の地位を獲得した20世紀。躍動した男たちの姿を通して、その軌跡を振り返る。

初の快挙は写真のない完全試合



 相手の打線を無安打無得点に抑えて完投勝利を収めるノーヒットノーランも快挙には違いないが、その回数は少なくなく、21世紀に入っても達成は続いている。これには、味方の失策という不運だけでなく、自身が与えた四球や死球によって走者を出すこともできることが大きい。これが、無安打無得点は当然、失策であれ四死球であれ、1人の走者を出すこともできないとなったら、その達成された回数はグンと減る。それが完全試合だ。

 プロ野球の長い歴史にあって、そんな“完全男”は15人しかいない。20世紀に限っても、15人。つまり、21世紀に入って20年目に突入しようとしている現在、まだ1人も達成していないのだ。もちろん、ノーヒットノーランのように1人で2度も3度も達成した投手はいない。ちなみに、1リーグ時代も皆無。完全試合には、実力を前提としながらも、運に大きく左右されるという横顔もある。

 その第1号は1950年。舞台は本州の最北端、青森の青森市営球場だ。北海道への遠征の帰路、巨人の藤本英雄が6月28日の西日本戦で達成。スライダーのパイオニアとしても知られる右腕だが、その前夜は青函連絡船で朝まで麻雀をしていたという。だが、先発の予定だった多田文久三が腹を壊したため緊急登板。

「睡眠不足で、いきなり先頭打者にボール3球、続けちゃったんです。そこから気持ちを切り替えて三振。まぁ四球でもいいやと思ったら完全試合はなかったんだから不思議なものですね。その後も、何度も危ない場面があったけど、バックに助けてもらいました」(藤本)

 運を味方にしたのも確かだが、43年の防御率0.73、通算勝率.697はプロ野球記録として残るなど、実力も抜群。ただ、現在では考えにくいが、地方遠征のため試合にはカメラマンがおらず、初の快挙を残した写真は1枚もない。そんな時代でもあった。続いて、近鉄の武智文雄が55年に達成。パ・リーグ初の快挙は、結婚して田中から改姓したばかりの右腕に訪れた。

 50年代の国鉄といえば金田正一だが、金田が達成する1年前、56年に達成したのがテスト入団の宮地惟友。最少79球での達成で、このシーズンは自己最多の12勝、キャリア唯一の規定投球回到達でもあった。ちなみに、金田は左腕で唯一の“完全男”でもある。

 58年には西鉄に黄金時代を呼び込みながらも故障で失速していた西村貞朗が、60年には大洋の島田源太郎が最年少20歳11カ月で、翌61年には国鉄2年目の森滝義巳が達成。66年が“完全試合ラッシュ”で、“偵察登板”だった大洋の佐々木吉郎が達成した11日後、西鉄の田中勉が最多117球の熱投で達成している。

外木場は2度目のノーノーが完全試合に


完全試合を達成した広島外木場義郎


 初勝利がノーヒットノーランで、自身2度目のノーノーが完全試合となったのが、最多16三振を奪った広島の外木場義郎だ。

「みんな途中までは明るかったんですよ。それが7回くらいから、しゃべらなくなった(笑)。そこで、狙ってみようか、と」(外木場)

 75年に最多勝となって広島の初優勝に貢献した剛腕。72年には3度目のノーノーも達成、沢村栄治(巨人)のプロ野球記録に並んだ。

 70年代に入ってからも達成は続く。70年に自己最多の17勝、後半戦10連勝と絶頂期にあった近鉄の佐々木宏一郎が、翌71年には東映の高橋善正が1奪三振のみで、そして73年にはロッテ八木沢荘六が規定投球回到達のために登板したマウンドで、それぞれ達成。だが75年、パ・リーグに指名打者制が導入されると、さすがに減速していく。

完全試合を達成した阪急・今井雄太郎


 そんなパ・リーグで唯一の“完全男”となったのが78年、阪急の今井雄太郎だ。前年まで7年間で6勝だったが、その3カ月前にビールを飲んで登板したことで覚醒したばかり。ぴったり100球での完全試合だった。その後も快進撃は続き、阪急ラストVの84年には最多勝、最優秀防御率の投手2冠に輝いている。

 そして、外出禁止令解除のために燃えたという巨人の槙原寛己が94年に達成したのが最後。あれから、もう四半世紀の時間が流れた。

写真=BBM

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週刊ベースボール編集部

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