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巨人V助っ人賛歌

捕手・阿部の「もう一度受けたい投手」、巨人ブルペンを支え続けたマシソンの剛速球/巨人V助っ人賛歌【プロ野球死亡遊戯】

 

来日当初は低評価


今季は9月25日現在、27試合に投げ、防御率4.57に終わっているマシソン


 今から7年前の2012年、原巨人のど真ん中にいたのは背番号10だった。

 交流戦優勝に始まり、ペナントレース、クライマックスシリーズ、日本シリーズ、アジアシリーズまですべて制覇。史上初の5冠達成とまさに強さのピークにあったチームを「四番・捕手」で牽引したのが、当時33歳のキャプテン阿部慎之助である。138試合、打率.340、27本塁打、104打点、OPS.994という文句なしの成績で、MVP、首位打者、打点王、最高出塁率のタイトルを獲得。原監督とともに正力松太郎賞、エースの内海哲也とは最優秀バッテリー賞にも選出された。ついでに宅配屋シンちゃんに扮し……というのは置いといて、まさに最強キャッチャー阿部は球界の頂点に君臨していたわけだ。

 この阿部と内海の投打の柱に加え、杉内俊哉村田修一がFAで加入。育成出身の山口鉄也も防御率0点台の絶対的セットアッパーとして活躍。それぞれ野球選手としてピークを迎えており、加えて若手時代の坂本勇人長野久義の2人が173安打で最多安打のタイトルを分け合い、プロ2年目の澤村拓一も2年連続2ケタ勝利を記録。そんな戦力充実期のチームに加入したのが、ひとりのカナダ人投手だった。当時28歳のスコット・マシソンである。前年はフィリーズに在籍し、楽天との争奪戦を制すると推定年俸7800万円で獲得。当初の評価はお世辞にも高いとは言えず、『週刊ベースボール』掲載の新外国人選手カタログには「抑え候補も不安がいっぱい」という記事が掲載されている。

「リハビリ中の久保(裕也)不在の間、抑えを誰に任せるのか。そんなチームの課題を解決してくれる存在と期待されるが、正直、不安でいっぱいだ。常時140キロ中盤を計時する角度ある速球と、鋭く消え落ちるスプリットは魅力的ではある。ただし、ブルペンと実戦では大違い。2月16日の紅白戦では加治前(竜一)を頭部死球で病院送りにするなど、とにかく制球難。フィールディングも疑問符がつき、僅差のラストを任せるには勇気が必要」

 しかも20代前半に2度の右肘トミー・ジョン手術経験とコンディションにも不安があった。春季キャンプでの対外試合ではセットポジションとクイックに課題を残し、スポーツ報知の記事見出しは『不安も増しソン』だ。OB評論でも「セットポジションで静止しようと気を使う素振りを見せるなど、投球に集中しきれていない。現在の制球では抑えは厳しいと言わざるを得ない」とバッサリ。そんな逆風の中でマシソン本人は「日本のボールも好きだし、すべての環境が素晴らしい。言い訳があればいいけど、言い訳のしようがない。早く自分を取り戻したい」と現状を受け入れ休日返上でシャドーピッチングに励んでいる。そう、この男は日本で絶対に成功するという断固たる決意があった。

「俺にいろんなことを教えてくれ!」


 二軍でときに先発調整をしつつ日本野球に慣れ、150キロ超えの直球だけでなくコンビネーションの大切さに気付き、スライダーにも磨きをかける。だが、一軍昇格後にブルペン要員として徐々に結果を残し始めていた矢先の7月末には、古傷の右肘の違和感で登録抹消。しかし直後に渡米して検査と治療を済ますと、すぐ再来日して翌日からG球場でリハビリ開始する。急ピッチでトレーニングをこなし、シーズン終盤には一軍復帰登板を果たした。やはりNPBを腰掛けと考える助っ人とは本気度が違う。

 週刊ベースボールONLINEの人気連載『川口和久のWEBコラム』では、当時の川口投手総合コーチがマシソンに「メジャーで勝負できる力があるのになんで日本に来たの?」と尋ねた様子が書かれている。そしたら背番号20は目を輝かせて、こう答えたという。

「俺は練習が大好きなんだ。なのにメジャーはほとんど練習しないし、指導もしてくれない。俺はもっともっと野球を勉強したいんだ。日本の野球はパワーだけじゃなく、技術も高い。カワグチさん、俺にいろんなことを教えてくれ!」

 その野球に対するハングリーな姿勢は周囲からの信頼も厚く、遠征先では日本を知るために積極的に街を観光して食事を楽しむ柔軟性もあった。1年目は40試合に投げ防御率1.71。2年目以降はセットアッパーとして定着すると、山口や西村健太朗らとともに勝利の方程式を担う。63試合で防御率1.03、42HPで山口と最優秀中継ぎ投手を分け合った13年リーグ優勝決定試合の9回表に原監督が見せた、山口、マシソン、西村の一人一殺豪華リレーは今でもファンの間では語り草だ(この日ベンチスタートの阿部も9回からマスクを被り途中出場)。

 13年から4年連続60試合以上登板。16年には70試合に投げまくり、49HPで自身2度目の最優秀中継ぎ投手に。誰もが認めるブルペンの大黒柱かつ、助っ人陣のリーダー役。好物はラーメンとホルモンで、地下鉄の乗り方から、ジャイアンツ球場への乗り換えまでマシソン先生に聞けば安心だ。メジャー球団からのオファーも蹴り、迎えた来日7年目の18年は投手リーダーへの就任も話題になり、左膝痛で登録抹消時は、テレビで自チームの試合観戦をしながら一喜一憂。自身のツイッターからチームメートたちに必死にエールを送り、「9回二死でテレビ中継終了して最後を見逃した。ひどいよ!」なんつって一昔前の熱烈G党おじさんのようなツイートを連発してファンを楽しませてくれた。

球団外国人投手最長の実働8年


 そんなマシソンも35歳になり、18年終盤は左膝手術で離脱し、来日以来最少の34試合登板で終えた。オフに感染症のエーリキア症に罹患したため、体重が10キロ近く落ち実戦復帰が遅れ、今季は6月に一軍復帰するも、その後二軍で再調整を余儀なくされるなど27試合で2勝2敗1S(10HP)、防御率4.57という不本意な数字が並んでいる。

 気が付けば通算420試合に投げ、年俸は来日時の4倍以上の3億5000万円にまで上がり、今年8月には外国人投手初の200ホールドポイントを達成。思えば遠くに来たもんだ。盟友の山口や西村はすでにユニフォームを脱いだし、内海や長野もチームを去った。杉内や村田はファームでコーチをやっている。そして先日、5年ぶりのリーグVを置きみやげに阿部も現役引退を表明した。ついに第二次原政権の「阿部のチーム」が終わりを告げ、キャプテン坂本を中心とした第三次原政権の若いチームが形になり始めている。

 マシソンは常々、2020年東京五輪の野球にカナダ代表の一員として参加するのが夢だと語る。19年で巨人との2年契約が満了となるが、来季も東京ドームであの快速球を見られるだろうか……。 なお、背番号20の実働8年はすでに球団外国人投手最長だ。来日時、ほとんど誰からも期待されなかった男は、誰よりも長くマウンドに立ち続けたのである。

 巨人史上最強キャッチャーの阿部慎之助は、引退会見でもう一度受けたい投手を聞かれるとこう言って笑った。

「(一緒に)たくさん優勝も経験してきたし、日本にも長くいるマシソンかな。色んな思い出があるんで」
 
文=プロ野球死亡遊戯(中溝康隆) 写真=BBM
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