昨年、創刊60周年を迎えた『週刊ベースボール』。現在、(平日だけ)1日に1冊ずつバックナンバーを紹介する連載を進行中。いつまで続くかは担当者の健康と気力、さらには読者の皆さんの反応次第。できれば末永くお付き合いいただきたい。 阪急スペンサーは退団濃厚
今回は『1969年1月27日合併号』。定価は60円。
1968年12月27日、香川県出身の参議院議員・平井太郎が、
「弟が正力亨
巨人オーナーに会って話し合いをした。四国をフランチャイズにした新球団の話だ」
と発言した。弟は西日本放送・平井仁之助社長。西日本放送は正力が副社長を務める日本テレビ系列だった。
四国はもともと野球が盛んな地域。プロ球団待望論は昔からあった。
正力亨オーナーは、具体的なことは濁しながらも「ある人から相談があったのは確か。西日本放送と四国電力がバックらしい」とだけ話したという。
さらに、企業名は定かではないが、別の話として、これ以前に四国の企業から「新球団を持ちたい」という内々の申し出があったらしい。
ともに人気のセへの参入を希望していたらしいが、2つを認めたら8球団となる。他球団の反対が予想され、セ参入は現実的ではない、という声が多かった。
ここで一つ、クローズアップされたのが、近鉄の買収、もしく本拠地変更だ。平井も、
「近鉄は四国の開発に力を入れているし、佐伯オーナーも四国(今治)出身だ。話のきっかけがあれば進展の可能性はある」
と意味深な発言をしている。監督も香川県出身の
三原脩だけに、確かにない話ではない。
なお、ずっと業務提携先を探していた東京は、現在・岸元首相の仲介で食品会社と話を詰めているらしい。
阪急では、68年打率.231と精彩を欠いた
スペンサーの退団話があった。
阪急は20パーセントダウンの960万円の年俸を提示。スペンサーはしぶしぶのみながらも、「5年間チームに貢献したんだから功労金1万ドルがほしい」と要求。阪急側はこれを拒否し、交渉も決裂していた。
球団代表は「8割はこないやろうな」と話していた。
では、また月曜に。
<次回に続く>