週刊ベースボールONLINE

プロ野球20世紀の男たち

樋笠一夫、高井保弘&川藤幸三「20世紀の“代打男3人衆”」/プロ野球20世紀の男たち

 

プロ野球が産声を上げ、当初は“職業野球”と蔑まれながらも、やがて人気スポーツとして不動の地位を獲得した20世紀。躍動した男たちの姿を通して、その軌跡を振り返る。

ここ一番でこそ見たい男たち



 どんな世界にも、当初から絶大な期待を寄せられる人がいる一方、まったくと言っていいほど期待されていない人がいるものだ。これはプロ野球の世界も変わらない。打者の場合、最初に後者となってしまったら、多くの場合で、代打という貴重なチャンスで首脳陣の信頼を得ることになる。

 代打で頭角を現し、のちにクリーンアップとなった中日大島康徳は好例だろう。もちろん、期待を寄せられながらも、巨人淡口憲治山本功児のように、同じポジションに王貞治という“巨人”がいたことで、移籍するまで代打に甘んじていたケースもあるが、代打に甘んじるのではなく、代打に生きる道を見出した男たちがいた。レギュラーになったこともあったが、ファンからすれば、常に見続けているより、ここ一番でこそ見たい男たち。今回は20世紀の“代打男”たちの中から、そんな3人をピックアップして紹介してみたい。

巨人・樋笠一夫


 最古参は樋笠一夫。30歳で広島の結成に参加して四番打者も務め、2年目の1951年シーズン途中に巨人へ移籍したが、プロ2年目にしてベテランの雰囲気があり、勝負強き代打の切り札として、黄金時代の巨人で独特の存在感を放った右の強打者だ。この51年は、巨人が2リーグ制での初優勝を飾ったシーズン。南海との日本シリーズ第4戦(後楽園)の9回裏に日本シリーズ初の代打本塁打を放ったのが樋笠だった。

 このときは4点ビハインドからの3ランで、後続が打ち取られて試合には勝てなかったが、同じく9回裏から試合を一気にひっくり返したのが56年の開幕から間もない、3月25日の中日戦ダブルヘッダー第2試合だ。試合は巨人の安原達佳、中日の大矢根博臣による投手戦。中日は7回表に完全試合ペースの安原から杉山悟がソロ本塁打を放って先制し、9回表にも代打の中利夫、二番の岡嶋博治による連打で2点を追加する。

 その裏、先頭から安打、四球と2人の走者を許すと、中日はエースの杉下茂を投入して、逃げ切りを図った。だが、失策で満塁となり、一死後、巨人の水原円裕監督が「他の選手が嫌いな杉下にも自信を持っている」と送り出したのが樋笠だ。1ボール1ストライクからの3球目は真ん中高めの快速球。

「初めからストライクだけを狙って打ってやろうと思っていました。あそこ(3球目)はストライクを投げてくると思ったんですよ」(樋笠)

 左中間スタンドへと飛び込んだ打球は、プロ野球で初の代打サヨナラ満塁本塁打となった。なお、樋笠は4月22日の阪神戦ダブルヘッダー第1試合(後楽園)でも代打サヨナラ本塁打。“代打の切り札”の草分け的存在といえる。

記録の高井、記憶の川藤?


阪急・高井保弘


 時は流れ、阪急の黄金時代に活躍したのが高井保弘だ。守備に難があったため、パワーを生かした打撃を磨いて、代打で生きる道を模索。最大の武器は相手の投手だけでなく、監督のクセまでをも見抜いた観察眼で、それを詳細に書き出した“高井メモ”も有名だ。

「狙い球は1球。たった1球に家族の生活が懸かっている」(高井)

 ペナントレースでの通算27本の代打本塁打は世界記録だ。77年からの3年間は量産がストップしているが、これは指名打者のレギュラーになったためだった。なお、74年にはオールスター史上初の代打サヨナラ本塁打も。これで第1戦のMVPに選ばれているが、このときは2球目を初めてスイングして本塁打にしたもの。まさに、ひと振りで決めたMVPだった。

 記録に残る2人に記憶で負けていないのは阪神の川藤幸三だ。若手時代は俊足で、高井が球宴で代打本塁打を放った74年にはレギュラーに近づき、リーグ最多の20犠打もあったが、アキレス腱を故障したことで、その後は“代打の切り札”として、相手チームの“抑えの切り札”との1打席の勝負に懸けていくことになる。

「ここ一番で打てたら、打率なんてどうでもエエわい、と。ここ一番だけは(打率)10割くらいの気持ちやった」(川藤)

 そのキャラクターもあって“記憶に残る男”というイメージが強い川藤だが、通算代打サヨナラ打6本はセ・リーグ新記録でもあった。

写真=BBM
週刊ベースボール編集部

週刊ベースボール編集部

週刊ベースボール編集部が今注目の選手、出来事をお届け

関連情報

みんなのコメント

  • 新着順
  • いいね順

新着 野球コラム

アクセス数ランキング

注目数ランキング