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週べ60周年記念

ロッテ・オリオンズの誕生/週ベ回顧

 

 昨年、創刊60周年を迎えた『週刊ベースボール』。現在、(平日だけ)1日に1冊ずつバックナンバーを紹介する連載を進行中。いつまで続くかは担当者の健康と気力、さらには読者の皆さんの反応次第。できれば末永くお付き合いいただきたい。

コント55号で背番号変更


表紙は左から阪神江夏豊村山実



 今回は『1969年2月3日号』。定価は60円。
 
 前回に続き2月3日号からいく。

 1969年1月15日のスポーツ紙で、東京オリオンズとロッテの業務提携がすっぱ抜かれた。
 ただ、提携自体はスクープでもなんでもなく、ずっと「どこが」が話題になっていた。

 東京は赤字の垂れ流し状態が続き、永田雅一オーナーがこれまで球団につぎ込んだお金は15億と言われた。うち大映本社からの借入金が12億、永田オーナー名義が6億という。

 業務提携先探しは切実だったが、実は、これまでにも手を上げた会社は何社かあった。
 しかし、いずれも永田オーナーの「スポンサーではあるが、球団の経営・人事にはノータッチ」の条件が引っ掛かり、立ち消えになっていたという。
 今回は韓国にも顔が利く岸信介元首相に加え、福田大蔵大臣も動き、ロッテ・重光社長との間をつないだ。

 条件は5年契約、年間7000万円の援助金(球団名使用料)、球団の赤字12億円の半分6億円の援助(5年間利子なし)、球団の人事、経営権にはノータッチの5つだったという。

 正直、かなり永田寄り。重光社長も「社内ではかなり反対がありました」と明かす。
 ロッテ側は貿易の自由化が進む中で外資系のガム、チョコレートに対抗するため、岸氏に恩を売りたかったのではとも言われた。
 
 ちなみに陰の演出者と言われたのが岸の秘書・中村長芳。永田オーナーはその手腕にほれ込み、球団副会長のポストで誘っているという。

 広島白石静生が背番号を13から55に変えた。13時代はケガが多かったこともあったというが、55にしたのは、人気が出だした「コント55号」からという。
 ただ、その説明が、
「ちっこい目とたれ目のコンビで昨年大当たりしたでしょう、あのコンビにあやかろうと」
 欽ちゃん、二郎さん。まだ、そこまでメジャーじゃなかったかな。

 では、またあした。

<次回に続く>

写真=BBM
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