昨年、創刊60周年を迎えた『週刊ベースボール』。現在、(平日だけ)1日に1冊ずつバックナンバーを紹介する連載を進行中。いつまで続くかは担当者の健康と気力、さらには読者の皆さんの反応次第。できれば末永くお付き合いいただきたい。 大洋の二軍に異変?
今回は『1969年2月10日号』。定価は60円。
巨人・
王貞治にシーズン55本目を打たれた男、大洋・
峰国安が1968年暮れに自由契約となった。成績不振に加え、
別当薫監督と合わなかったからとも言われた。
家族的な球団と言われた大洋だが、このオフはコーチを大量解雇し、二軍選手にも大ナタを振るった。
話題となったのは、
大石勝彦の解雇だ。イースタンで打率.302、21盗塁。これで優秀打者、盗塁王(ほかに22盗塁がいたが、当時、20盗塁以上は平等に盗塁王として表彰されたらしい)にもなった選手だ。
まあ、そうは言っても二軍の成績である。この大石の解雇がなぜ話題になったかといえば、日生会館でのイースタンの表彰式で、名前を呼ばれながら出てこなかったからだ。
要は球団に黙って欠席ということだが、クビになって表彰式だけ出ても仕方あるまい(連絡がなく、知らなかったという可能性もある)。
大石は、この時点で東映の自主トレに自費参加。そのまま契約を勝ち取っている。
対して、峰の解雇はさほど話題にはならなかったが、復帰時は少しざわついた。
自由契約から3カ月後、球団から復帰要請があり、復帰が決まったという。
「本人の熱意に打たれて」と球団側は言っていたが、実際には峰は一度長崎に帰り、他球団への就職活動を始めており、記者たちも狐につままれたような思いだったようだ。
中部利三郎社長が峰の後援者に泣きつかれたからとも言われたが、真相は明らかではない。
当時でも自由契約からの古巣復帰は、かなりのレアケースだったようだ。
では、またあした。
<次回に続く>
写真=BBM