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プロ野球回顧録

「打線の援護があれば500勝も可能だった」/金田正一氏・再録インタビュー

 

400勝。365完投。5526回2/3。4490奪三振。14年連続20勝。64回1/3連続イニング無失点。いまだに輝く数々の大記録を羅列するまでもなく、日本野球史の投手の頂点は、間違いなく金田正一氏である。その投手人生の回想に耳を傾けた、『ベースボールマガジン』2015年1月号のインタビューを再編集してお届けする。

「65勝って簡単に言うけど、あのチームに勝つのは至難の業だよ」


国鉄時代の金田


――金田さんは高校を中退して17歳でプロ入りし、1年目は8月から30試合に投げたんですよね。

金田 そんなのすごくないよ。2カ月もあるんだから。1日おきにほうればいいんや。プロ野球のピッチャーは、投げるのが当たり前。今みたいに、肩を使い惜しむこともなかった。毎日野球をやるなんて、屁の河童や。そんな時代だからな。食うものもない、飛行機もない時代だからね。

――北海道遠征も汽車で行った時代ですもんね。

金田 4球団帯同でな。巨人と国鉄とあと2球団。変則ダブルを組まないと、興行にならないんや。東北から転戦してな。青函連絡船に乗って北海道に渡るなんて、今の選手に味わわせたいな。

――ノーヒットノーランを2回(完全試合含む)やっていますが、ヒットを打たせないのは投手の本能ですか。

金田 いや、本能は勝つことだな。ランナーを出しても、点を取られなければいい。勝つことしか考えていないよ。負けることは頭にない。

――国鉄時代は0対1で負けた試合も多かったです。

金田 打てないんだから。それを言うたら当時の選手に悪いけど、駒がなきゃ打てない。打てる人、打てない人、いるからね。ワシは0対1や1対2で負けた試合は多かったはずだよ。

――それがひっくり返っていれば、500勝も。

金田 ああ、行っとる、行っとる。500勝していたと思うよ。登板数からすると可能だろ。

――歴代1位の5526回2/3ですもんね。

金田 疲れとるとか、なかったもんね。今みたいに、ベンチにスポーツドリンクとかないよ。氷水だったよ。冷蔵庫もなくて、木の枠みたいなのに入れて冷やしていたんだ。こういうことを今の子は知らないと。馬車から始まって自動車になったように、歴史っていうのはあるんだよ。だからこそ、昔の人は強かったんだ。車のない時代はみんな命がけで歩いていたんだ。野球選手はもっと歩かないといかん。

――国鉄時代、巨人相手には65勝(歴代1位)。巨人戦は燃えましたか。

金田 65勝って簡単に言うけど、あのチームに勝つのは至難の業だよ。あの当時、どんだけのピッチャーが巨人にいたと思ってるの。これはバックの国鉄ナインが身をもって教えてくれたんだが、2点差、3点差を試合終盤に逆転とか、夢だったよ。まず、なかった(笑)。前半でやられて、あきらめるのが先だよ。コンディションが悪ければ負けるの。今の選手は我々にコンディションの整え方を聞きに来ない。歴史の中のいいものを残そうとしない風潮を感じる。今は野球もやったことないヤツがトレーニングコーチとか、バカかっちゅうねん。トレーニングコーチがベンツに乗る時代やで。ビックリやな。心臓が止まるまで走ればいいんや。限界に達したとき、足がもつれるのと心臓が止まるのと、どっちが先だと思う?

――心臓が止まると大変なので、足がもつれるほうでしょうね。

金田 そうだ、そのとおりや(笑)。足がもつれるのは、コンディションが悪くなる前兆なの。自分の体で判断できるのよ。そこまでやらないといかんし、普段の日常生活でも、体がダルくなったりするのは何かの病気の前兆なの。科学的にやらなくても、それは自然に身についているの。練習すれば体が教えてくれるのよ。

――金田さんはコンディションが悪いときはありましたか。

金田 そういうときは引っ込むの。その権利を持っていたからね。ローテーションで回ってきても、「今日はダメだ」ってときははっきり断る。「申し訳ない」とは言うたことないけど。体調が悪いときは、どんなにピッチングを立て直そうとしても、直らない。そこを見極めていかないと、投手交代はできないね。

「連投なんて屁でもない。完投の疲れは野球で癒す」


58年6月5日に史上最速で200勝に到達。表彰を受ける金田は24歳


――よく20勝を14年も続けましたね。

金田 当たり前じゃないか。それが商売なんだから。20勝から1勝でも欠けたら、給料を落とされる。

――絶対に20勝するという契約だったんですね。

金田 そう、その代わり、20勝したら文句は言うなっていう。いいときはこっちの言い値で年俸も倍々ゲームや。最初にどーんと大きく吹っかけて、「エーッと」って考えさせて、「いいや、真ん中取ろう」で契約や。いつもそういう交渉だったから、揉めたことがない(笑)。

――真ん中を取っても相当なアップだったわけですね。

金田 そう。倍々ゲーム。

――記憶に残っている試合はありますか。

金田 節目のときや。完全試合はよく覚えている。その前に杉下(茂=中日)さんに負けた悔しさ。

――1955年5月10日に杉下さんと投げ合い、杉下さんが1対0のスコアでノーヒットノーランを達成した試合ですね。

金田 そう、それから2年後か(1957年8月21日)。また杉下さんと投げ合って、今度はワシが1対0でノーヒットノーラン(完全試合)。杉下さんとの投げ合いは楽しかった。あと、別所(毅彦=巨人)さんとの投げ合い。何が楽しいって、ピッチングを覚えるわけよ。上杉謙信が武田信玄に塩を送ったように、敵同士でも、いい投手は対戦相手の投手を育てるね。最近の野球にはそういう場面はないわね。しょっちゅうピッチャーが代わるから。

――やはり、杉下さん、別所さんは印象に残りましたか。

金田 別所さんはインサイドにシュートを投げるタイミングが日本で最高の人だった。食い込んでくるシュートは、誰も打てなかった。だから310勝できたんだろうな。

――杉下さんのフォークはどう見ていましたか。

金田 あのフォークは、くるぞ、くるぞ、と思わせながら、なかなか投げてこない。バッターが気にし過ぎちゃうんだな。まあ、フォーク以前に杉下さんは球が速かったよ。計り知れないスピードボールでしたよ。

――対戦した打者で印象に残っているのは。

金田 バッターに対しては、こいつには負けるとか、そんなことは1度も思ったことがない。でも、厄介だったのは阪神の吉田(義男)。規格外の低さだから、ボールがストライクゾーンから上に伸びていっちゃう。あいつがまた、打席でしゃがむんだ(笑)。まあ、1人出したって、次のバッターを抑えればいいんだよ。

――金田さん自身はもともとの才能もあった上で、さらに鍛えたんですよね。

金田 自己管理のたまものだよ。連投なんて屁でもない。投げた後はグラウンドで疲れを取るんだよ。いつ勝ち星が下りてくるかもしれんから(笑)。完投した翌日だって早くから練習して、6回、7回になって勝てそうになったら出ていくんや。それが恒例になちゃって、試合中盤で同点に追い付いたりすると、まず観衆が沸くんだ。

――「金田を出せ」と。

金田 ブルペンはファウルグラウンドにあったから、そこに行くだけでスタンディングオベーションよ。そんなピッチャーおらんやろ。ブルペンで速い球を投げるだけで、試合そっちのけで沸くんだよ。それが快感で、いつも見せていたな。

「あの当時の金田の存在はONより上で別格だった」


巨人・長嶋(左)とのツーショット


――「打たせて取る」よりは三振にこだわりましたか。

金田 三振を取らなかったら、エラーするがな(笑)。打たせないのが一番手っ取り早いんや。「打たせて取る」なんて考えたことない。

――「27球で終わらせるのが理想」という投手もいます。

金田 そんなの、能書きや。能書きたれて野球はできん。記録に残った者がすべて。残った者がこうやって野球を語る。

――14年連続20勝して巨人に移りました。巨人を選んだ理由は。

金田 ほかにどこがある。巨人しか考えていなかった。パ・リーグに行くはずもないし、東京に家があったし、在京球団で、大きな金を出すところは巨人しかなかった。国鉄時代から、戦いながらも情が沸いていたよ。長嶋(茂雄)にも王(貞治)にもデッドボールを当てたことないよ。

――長嶋さんがルーキーだったとき(1958年)の開幕戦の4打席連続三振は語り草です。

金田 当たり前です。こっちはその時点で182勝している。あっちも力があったが、こっちのほうが力はあった。あのときのワシのボールは、誰にも打てん。金田の天下よ。あの年は、64回1/3連続無失点記録も作ったでしょ。

――そのとおりです。

金田 長嶋だけじゃない、みんな打てなかったんだよ。その年はね、ヒジの痛みが治ったの。それまではずっと、ヒジの痛みと付き合いながら投げてたの。その前年の秋かな。異常気象でポカポカ暖かくて、ほとんど半袖で過ごした。不思議なことにそれで痛みが飛んだんだね。それで長嶋が入ってきた。長嶋は、入る前からマスコミの騒ぎがすごかった。だから長嶋以上の節制をして、準備をして、絶対に勝とうとは思ったよ。これが哲学。金田野球は見せる野球。ワシの全盛期に今みたいにテレビが普及していればよかったな。もっと多くの人に見てもらいたかった。ワシの野球がどれだけ視聴率を取れたことか。

――金田さんが巨人入りした年からV9が始まるわけですが。

金田 今でも自負しているよ。長嶋も王も、もっと大きな声で言えばいい(笑)。いい物はいいと認めて取り入れた長嶋も王も、素晴らしい男たちです。(監督の)川上(哲治)さんは、「金田なくして9連覇はなかった」と知っていますよ。ワシが入った年から、長嶋も王も変わった。散歩から食事、練習、すべてが金田が入ってから、巨人は変わったんです。最高の生活をして、最高の精神を持っている最高のプロ野球人が加われば、みんな影響を受けるでしょう。

――巨人時代はONより年俸は上だったんですよね。

金田 当たり前じゃ。ONはすごいってのは後の話で、その時点での金田の存在は別格だったよ。

――金田さんの力は、どこから来たんですか。

金田 もともと力があったんだ。その上で衣食住、特に食べ物や体の管理にはすごく気を使ったね。この体は2度と出てこないんじゃないか。14年連続で300イニングなんて、ほかの人間には無理だろうね。管理力が違う。絶対に肩は冷やさなかった。真夏でもカシミヤを着て寝たんだ。アイシングだか何だか知らんが、今のピッチャーは肩を冷やすだろ。うわーって思うね。だからロクなピッチャーが出てこない。後でいくらでも湿布できるのに。今は野球が違います、ローテーションがあるから20勝はできません? バカかっちゅうんだ。ローテーションがあったって、全部勝てばいいんだよ。ワシが今の時代で現役だったとしても、やっぱりとてつもない記録を作っていたと思うよ。

写真=BBM
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