昨年、創刊60周年を迎えた『週刊ベースボール』。現在、(平日だけ)1日に1冊ずつバックナンバーを紹介する連載を進行中。いつまで続くかは担当者の健康と気力、さらには読者の皆さんの反応次第。できれば末永くお付き合いいただきたい。 徐々に増えていく「話が違うよ」的なこと
今回は『1969年3月24日号』。定価は60円。
えぐいタイトルだが、担当がつけたわけではない。
当時のタイトルのままだ。
第2の大リーグとして華々しくスタートしたグローバル・リーグだが、「話が違う」が連発し出した。
3月1日、グローバル・リーグ日本チームの
森徹監督は、浮かぬ顔で言った。
「とにかくおかしい。なにからなにまですっきりしないことだらけだ」
予定では3月8日に渡米し、フロリダ州での6チームの合同キャンプに参加することになっていた。
しかし日本の担当となっているジョージ吉永の来日が遅れ、身動きができない状態になっていた。
「2月28日にはカネを持ってきてくれるはずが、なしのつぶてなんだ」
カネというのは選手への参加報酬。今回は契約金も支度金もなしで、参加報酬の前渡し金がその代わりにように言われていた。
提示されていた条件は最低月額600ドル(22万円)、リーグ戦中の旅費、滞在費はリーグ持ちとなっていた。
森は何度もアメリカに電話を入れたが、いつも明らかな居留守。あげく吉永は森ではなく、プロボクシング協栄ジムの金平会長に電話を入れ、
「6日ごろ行きますよ」と伝言を頼んだ。
金平会長と吉永は西城正三が渡米したときからの付き合いだという。
もちろん森は、
「なんで俺に連絡してこない」
とまた怒り、
「俺はまだ契約していない監督候補なんだ。いつでも身を引けるんだよ」
とも言い始めていた。
実際、練習でつかっている川崎球場や多摩川グラウンドは森の顔で頼み込んだもの、バット、ボール代は森の自腹だったらしい。会社の社長をしていたとはいえ、出費は痛い。
ユニフォームもまだ届いていないが、これもなぜか金平会長が見本が預かっていた。実は吉永に依頼され、胸か背中にマークを入れるスポンサーを探していたのだ。
仲介をしていたのが六本木にあるGACという会社で「いまのところカメラ会社とトランジスタ会社が候補にあがっている」という。ただ、ユニフォームをつくるオカ・エンタープライズでは「総額85万円はかかる。前金をもらわなければ、作らないことにしていると2週間前に伝えたが、返事がない」と話していた。
かなり厄介な話になっているが、引くに引けない選手も多い。
阪神を引退した交告もその一人だ。義兄を頼り、池袋でおにぎり屋をしていたが、野球への思いが捨てがたく、近鉄に頼み「採用してもいい」という返事をもらった。
しかし、ここでスポーツ紙に載っていたグローバル・リーグ日本チームの入団テストの告知を見て、「これだ」と思った(思ってしまった)。
「たぶん、プロでやっても僕の給料は知れている。それならグローバル・リーグに入ってエースを目指そうと思った。そうなれば給料もぐんぐん上げてもらえるかと思ってね」
グローバルよ、どこに行く、か。落ちが分かっている悲劇(喜劇?)は書くのがつらい。
では、また月曜日に。
<次回に続く>
写真=BBM