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2019訃報

愛する高校野球発展に尽力し、生涯現役のまま旅立った日本高野連・竹中事務局長

 

日本高野連・竹中事務局長が10月16日、間質性肺炎のため死去。9月、韓国で行われたU-18W杯では、広報として精力的に動いた


 9月、韓国で行われたU-18W杯。高校日本代表チームが試合会場に到着し、準備が落ち着いたところで、球場入口周辺には10人程度の記者が自然と集まる。その流れが、大会期間中の取材スタート。輪の中心にいたのが、日本高野連・竹中雅彦事務局長だった。

 チームの広報担当。つまり、メディアの窓口として応対してきた。あくまで公の場ではないが、雑談などを通じて、チーム内の雰囲気を感じ取る貴重な時間。何を聞かれても包み隠さず、話してくれた気さくな方。監督、選手ほかの取材時間が、試合後の約10分と限られる中で、ありがたい「生の声」だった。

 だが、今回の遠征は難題と直面した。韓国入国の際、日の丸を外した無地のポロシャツを着用したことが国内外で反響を呼んだ。前後して、各方面からの対応に追われ、決して表には出さないが、心労がたまっていたという。

 こうした「触れづらい内容」に対しても、竹中事務局長は分かりやすく、一つひとつ丁寧に経過等を説明してくれた。

 チーム、大会関係者に寄り添う姿勢も頭が下がる。春、夏の甲子園大会では大会運営の実質的なトップとしてリーダーシップを発揮。出場校が球場到着の際には真っ先に出迎え、試合後、宿舎へ引き揚げる際には「お疲れ様」と一人ひとりと言葉を交わして見送る。特に、敗退チームへ対しては、笑顔で労う表情が印象的。大会がすべて終わると、猛暑の中で試合を動かした審判員を集めて慰労のあいさつ。U-18W杯の大会期間中もチーム関係者らを気遣い、球児にも体調確認ら、優しい言葉をかける風景を見てきた。配慮の人だった。

 日本高野連事務局長在任中は球児の体を守るための改革を推進。タイブレーク制、熱中症対策、そして今年からは球数制限などを議論し、柔軟な姿勢で物事を進めてきた。

 だが、まさかの訃報が入った。10月16日の午後6時10分、間質性肺炎のため、和歌山市内の病院で死去した。64歳だった。地元・和歌山県高野連理事長を務め、2011年に日本高野連事務局へ入局。参事を経て、13年12月に事務局長に就任した。

 65歳となる12月20日、定年により退任を迎える予定だった。「普通にやって当たり前の仕事。60歳で終わる予定だったんですけど、1年更新で、ここまできました。周囲の皆さんには、感謝の言葉しかありません」。最後に言葉を交わしたのは、高校日本代表チームが帰国するはずだった9月9日、金海空港での出発ロビー。

 この日は台風の影響で、使用機材が成田から韓国へ到着せず、延々と待たされていた(結果的にチームは翌10日に帰国)。別便であった小社取材陣は、本来はチーム便よりも2時間ほど後の出発であったが、結果的に先に搭乗することになり、バツが悪い状況に……。竹中事務局長にあいさつすると「スーツケースにでも、入れてくれんかね?」と逆に和ませてくれた。ひょうきんで、誰からも慕われる人柄。愛する高校野球発展のために尽力し、生涯現役のまま旅立っていった。

 退任後はあらためて「野球人・竹中雅彦」の話を聞くつもりだった。「書けないことばかりですよ(苦笑)。でも、1冊の本にできるかな」と、ここでも冗談を交えながら、笑みを浮かべていた。インタビューが実現せず、残念でならない。いつも、真摯に向き合ってくれた竹中さんには、感謝しかない。合掌。

文=岡本朋祐 写真=高原由佳
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