昨年、創刊60周年を迎えた『週刊ベースボール』。現在、(平日だけ)1日に1冊ずつバックナンバーを紹介する連載を進行中。いつまで続くかは担当者の健康と気力、さらには読者の皆さんの反応次第。できれば末永くお付き合いいただきたい。 打球が奪った命
今回は『1969年3月31日号』。定価は60円。
春の球界に起こった2つの事故について特集していた。
あまり血が得意じゃない人は読み飛ばしてください。
1969年3月14日の夜だった。
福岡のライオンズ寮の雨天練習場で、宇佐美和雄投手ら若手数人が自主練習をしていた。
宇佐美は仲間たちのために打撃投手をしていたのだが、その際、打球が左胸に当たってバッタリ倒れた。
決して強烈な打球ではなかったので、周囲は「ふざけているのかな」と最初思ったという。
実際、立ち上がって出口に向かい、10メートルほど歩いたが、そこで再び倒れた。
あわてて救急車を呼び、病院にいったが、そこで息を引き取る。死因は外因性ショックだったという。
木更津中央高出身で、68年のドラフト会議で3位指名された新人だった。
もう1つの事件は3月7日、熊本藤崎台球場で起こった。
巨人の打撃投手・高岡正司の右目に、折れたバットの破片が突き刺さった。
投げる順番を待ってケージの後ろに立っていたときの悲劇だったという。
グラウンドが血まみれになった。
66年、26歳で
中日に入団した左腕だが、一軍登板のないまま68年限りで自由契約。その後、制球力の良さを買われ、巨人と打撃投手で契約をした。
命に別状はなかったようだが、頭痛が続き、言語障害も起こしていたという。
事故の直後、高岡をかわいがっていた
金田正一が目を真っ赤して話していた。
「きょうはもう練習にならん。わしはやめた。練習どころやない。
奥さんに知らせてやったか。高岡をなんとかしてやってくれ。彼には子どもが2人おるんや。上の子は7つ、下の子はまだ7カ月や。なんとかしてくれと血だらけになって叫んだ高岡の声が耳について離れないんや」
あしたは休日なので、また水曜日に。
<次回に続く>
写真=BBM