週刊ベースボールONLINE

週べ60周年記念

広岡達朗、守備の目覚めの記憶/週ベ回顧

 

東京・飯島秀雄が足に保険


表紙は阪神田淵幸一


 今回は『1969年3月31日号』。定価は60円。

 100mの日本記録保持者・東京の飯島秀雄が自慢の足に5000万円の保険をかけた(かけてもらった?)。
 当時の記事には「5000万円あれば足の1本くらいなくしても安楽な生涯を送れる」とある。
 乱暴な話であるが、まだ傷痍軍人の物乞いもいた時代だ。

 ただ、どうも飯島はうまくいっていないようだ。
 オープン戦では盗塁を仕掛けても失敗ばかり。こうなるとなおさらかもしれないが、コーチのアドバイスも素直に聞けなくなっていたようだ。
 いつもヘッドスライディングばかりなのを「たまには足から」と修正させようとしても「どうも足からだとタイミングがつかめず、スピードが鈍ってしまう」と消極的な答えばかり。

 永田雅一オーナーが飯島に提案していたのが、一塁からのスタートで、陸上のクラウチングスタートのように地面に両手をつけて待ち、一塁コーチがスタートの合図を出すというものだ。
 
 飯島は「三塁からのタッチアップならいいが、一塁からなら今より遅くなってしまうだろう」と言っていた。
 確かに無茶苦茶な案だが、閉塞感漂う中、そういう突き抜けた発想でやってみるのも面白かったかもしれない。

 飯島と阪神・田淵幸一の新人対談もあった。そこで飯島が話していた悩みは代走で出場する前に、アップができないこと。審判の目を盗み、ブルペン近くでダッシュをしていたらしい。

 また、今は野球で気がついたことをノートに書きためているらしいが、
「僕なんか陸上時代はいつもトップで負けを知らなかったから、こんな日記みたいなものをつけたりしたことはしなかった。それより僕の相手というのはブラックパワー(黒人選手か)だったよ(笑)」
 プライドが高い人でもあったのだろう。

 プライドと言えば、元巨人広岡達朗がコラムで守備について書いている。

 にわかには信じがたいが、広岡はプロ入り当初、自分の遊撃守備にコンプレックスがあったという。特に阪神・吉田義男の華麗な守備に観客が沸くのを見て、
「同じショートでありながらこうも違うかとシャクに障る」
 と思った。

 当時の心境は、「上手になろう。ならなくてはファンにほめてもらえないとあせってくる。そうなると、きれいなプレーばかり追い始める」。
 要は、派手なプレーばかりをまねし、
「基本なんて頭にない。考えることもなかった」
 という。
 失策も多く、球場に入るのが嫌だったという。

 そんなとき転機が訪れる。
 58年カージナルスが来日。そこでドン・ブラッシンゲーム二塁手の守備を見たときだ(南海ではブレーザー)。
 派手な動きもあったが、それ以前にとにかく丁寧で、基本に忠実。これほどの選手も、やはり基本なのか、と思った。
「打球が来る前に万全の体勢を取り、この体勢を崩そうとしない。腰は低く、ボールを完全にグラブに収めるまで一瞬も目を離さず、スローイングに移る」
 これを見てモヤモヤの霧がふっとんだ。
 
「そうだ、あのプレーこそ、私がまねればいいのだ」

 以後、広岡は基本に徹底的にこだわり、自分の技術を磨いた。そうなってからは、吉田のプレーもそうだが、他人のことがまったく気にならなかったという。

 では、またあした。

<次回に続く>

写真=BBM
週刊ベースボール編集部

週刊ベースボール編集部

週刊ベースボール編集部が今注目の選手、出来事をお届け

関連情報

みんなのコメント

  • 新着順
  • いいね順

新着 野球コラム

アクセス数ランキング

注目数ランキング