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ホークス対ジャイアンツ日本シリーズ激闘史

夢まであと一歩に迫りながら再び巨人に日本一をさらわれた南海/ホークス対ジャイアンツ日本S激闘史【1955年】

 

10月19日から始まった日本シリーズに3年連続で出場したソフトバンク。南海、ダイエー時代を含めて頂上決戦に挑むのは19回目となるが、ここでは過去のホークス対ジャイアンツの日本シリーズでの激闘を振り返っていく。

「波長」が合う南海と巨人


1955年、24勝で2年連続最多勝を獲得した宅和。南海の2年ぶりの優勝に大きく貢献した


 1950年に2リーグ制となり、パ・リーグの初代覇者は、プロ野球に加入したばかりの毎日オリオンズ。南海は2位に甘んじた。一方、セ・リーグも松竹ロビンスが優勝し、それまで球界を牽引してきた巨人は3位に沈んだ。しかし、翌年から南海と巨人はリーグ3連覇を果たし、日本シリーズで相まみえた。

 4連覇を目指した1954年、南海は開幕7連勝をするのだが、西鉄ライオンズがそれを上回る11連勝。その後、西鉄を追いかけ、8月下旬からの27試合で26勝1敗の猛追を見せ奪首を果たしたが、再び逆転された。西鉄を1勝上回る92勝を挙げたが、敗戦が2多かったために初優勝を献上した。一方、巨人も終盤まで中日との激しいデッドヒートを演じたが力尽き4連覇はならなかった。

 1955年、覇権奪回を目指す南海は西鉄と8月下旬まで勝率7割前後のハイレベルな戦いで優勝争いをし、9、10月に25勝9敗の快進撃を見せ、西鉄に9ゲーム差をつけ2年ぶりのリーグ優勝を果たした。巨人も5月に首位に立つと、2位の中日を突き放し一度も首位を譲らず15ゲーム差の圧勝で優勝を手にした。2リーグになって以降、この2チームはなぜか「波長」が合い、ここまで6年間は必ず同じ年に優勝していた。

 南海のこの年の戦力だが、投手では高卒で前年入団した宅和本司が24勝を挙げ、2年連続最多勝を獲得(前年は26勝)。チームの柱となっていた。高卒ルーキーで前回の日本シリーズに出場した中村大成。シリーズでは3連発を浴び悔しい思いをしたが、3年目のこの年、宅和に次ぐ23勝をマーク。その他2ケタ勝利を挙げたのは、4年目の小畑正治、2年目の戸川一郎、大卒ルーキー・円子宏の3人で2年前の投手陣の顔ぶれとはガラリと変わっていた。打撃陣はあまり変わらなかったが、円熟期を迎えた選手が多かった。また、この年に近鉄パールスから杉山光平を獲得。山本一人監督がどうしても欲しかった選手で、1959年には首位打者を獲得するほどの職人肌のバッティングセンスの持ち主だった。

第4戦を終え南海が3勝1敗も


第3戦で大活躍した南海・飯田(左)、森下(中央)、岡本(右)


 巨人に劣らない戦力で挑んだ4度目の日本シリーズ。

 大阪で始まった第1戦、南海の先発は2ケタ勝利投手ではなく、シリーズ経験も多い柚木進で巨人はエースの別所毅彦。1対1の同点で延長戦に入ったが、巨人は延長10回、三番手の宅和から一死三塁のチャンスを作ると四番の川上哲治がライトスタンドに打ち込み先勝した。

 第2戦、南海の先発は小畑で、キレのいいストレート、カーブ、シンカーを巧みに操り、1、2回四球で出した走者を併殺打で切り抜け波に乗った。7回途中まで無得点に抑え、リリーフした中村も零封した。打線は2回に四番・飯田徳冶の一発で先制すると、7回には捕手の松井淳のタイムリーで2点目を取り快勝した。

 後楽園に移動しても南海の勢いは衰えなかった。第3戦の4回、この年盗塁王に輝いた森下正夫のタイムリーで先制。8回には岡本伊三美の一発で2点目。先発は最多勝の宅和だったが、5回に連打を浴びるとすぐに戸川にスイッチ。南村侑広を中飛、続く広岡達朗を三塁併殺打に打ち取りピンチを絶った。その後を1安打に抑え2試合連続完封。

第4戦、南海勝利の殊勲者、杉山(右)と木塚(左)


 雨で2日延びた第4戦、南海は初回、巨人の先発・別所のボークで1点を先制。5回に岩本堯のヒットと四球でピンチを作ると、山本監督はすかさず先発の中村から戸川にスイッチ。この時は別所にタイムリーを打たれ同点とされたが、このシリーズ、山本監督は継投を多用した。南海は8回、島原輝夫のヒットを足掛かりに、木塚忠助、杉山、飯田の長短打で4点を取り3連勝。夢にまで見た日本一にあと一歩とした。

 第5戦、巨人の水原円裕監督は前日三塁打を放った20歳の藤尾茂を三番・捕手、加倉井実を七番・左翼に起用。これが見事にはまった。初回、藤尾がいきなり3ランを放つなど4点を先制。南海も4回に飯田の3ランで1点差とし、7回に深見安博の代打本塁打で同点とするが、その裏、加倉井の二塁打などで4点を失い5対9で敗戦。

 地元・大阪で日本一を決めたい南海は中村を先発させるが、初回に失策も絡み2失点。その裏、南海は一番・木塚、二番・島原が連打を放つと、巨人は先発の安原達佳を早々諦め中尾碩志をマウンドに送った。三番・杉山死球で無死満塁となるが、飯田の遊ゴロ併殺の間に1点を還すだけに終わった。結局、この1点しか取れず惜敗。3勝3敗のタイに持ち込まれた。第7戦の先発は南海が戸川、巨人が別所。5回に巨人は加倉井の二塁打から四球、野選で無死満塁のチャンスをつかむ。南海はここで中村にスイッチするが、南村に犠飛を打たれ先制された。南海打線は別所を打ちあぐみ、9回には決定的な3点を失い3連敗でまたも日本一を逃した。

 あと一歩まで行きながら「壁」にぶち当たった南海。しかし翌年からはリーグ戦で西鉄という「壁」に阻まれ3年間優勝から遠ざかることになり、巨人との「波長」も合わなくなった。

写真=BBM
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