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週べ60周年記念

西鉄・稲尾和久はもう限界なのか/週ベ回顧

 

 昨年、創刊60周年を迎えた『週刊ベースボール』。現在、(平日だけ)1日に1冊ずつバックナンバーを紹介する連載を進行中。いつまで続くかは担当者の健康と気力、さらには読者の皆さんの反応次第。できれば末永くお付き合いいただきたい。

石戸四六の酒自慢?


表紙は巨人高田繁


 今回は『1969年4月21日号』。定価は60円。

 西鉄の大エース・稲尾和久が3月27日、名古屋遠征中に腰を痛め、福岡空港に戻った。「大したことない。ただのぎっくり腰だよ」と言っていたが、翌日の診断の結果は「腰痛左横の突起骨折」。29日には全治1カ月の発表があった。
 稲尾が倒れるまで西鉄はオープン戦20試合を消化し、7勝10敗3分の最下位。原因は投手陣の崩壊だった。

 前年の68年、稲尾は若手が思うように育たぬ中、56試合に投げ、9勝を挙げたが、年俸25パーセントのダウン。
「俺はまったく働かなかったというのか……」
 とショックを受けた。稲尾はその前の年に1000万から800万に年俸を下げられ、さらに56試合に投げながら25パーセントダウンだ。経営難の西鉄とはゆえ、厳しい。

 それでも稲尾は、
「全盛期の力が10とすれば今は3ぐらいかな。でも、まだ7の力がなくなったわけじゃない。今年はすべての力を使って勝負してみるよ」
 と話していた。
 ただ、球威を取り戻すため、腰を深くひねる投法にしたのが響いての腰痛。泣くに泣けない。

 東映では前年途中監督を辞任した大下弘が先乗りスコアラーをしていた。要は2年契約の監督契約が1年残っていたので、「どうせなら」くらいだったようだ。
「ワシは東映の監督になる前、サンケイの仕事(評論家)をしていた。スコアをつけて相手チームを分析することなんか新聞記者時代と何も変わらん。東映から高いサラリーをもらっているんだし、やらにゃ悪いよ」
 と呑気だ。

 ちなみに、遊び人で知られた大下だが、実は酒量は大したことはなかったという。
 当時、酒の横綱といえば、酒仙投手と言われたサンケイの石戸四六が有名だ。
「俺の酒量は20歳前後が最高じゃないだろうか」
 という石戸(前後というのが時代か)。
 仲間2人と飲み明かした一夜は、まずはウイスキーの角ビンを2本空にし、その後、日本酒の一升瓶を2本。さらに、バーを5、6軒ハシゴし、最後は梅入り焼酎の飲み比べ。
「相手は7杯でひっくり返ったが、俺は14杯まで数えたよ」
 という。

 では、また月曜に。

<次回に続く>

写真=BBM
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