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西武・豊田清新投手コーチの絶対的守護神時代の流儀とは?

 

豊田コーチの西武現役時代。2002年、絶対的守護神としてマウンドで君臨していた


 21年ぶりの連覇を果たしながら2年連続チーム防御率パ・リーグ最低に終わった投手陣の再建へ期待がかかる。10月25日、埼玉県内の球団事務所で西武の新コーチ入団発表が行われた。一軍投手コーチにはすでに退任となっていた小野和義氏に代わり、豊田清氏が就任することになった。

 西武には現役時代の2005年以来、15年ぶりの復帰となる豊田コーチ。西武ファンの記憶に刻み込まれているのは、やはり絶対的守護神として君臨していた背番号20の姿だろう。02年には57試合に登板して、6勝1敗38セーブをマーク。優勝に大貢献したが、当時の伊原春樹監督は豊田コーチをマウンドに送り出して手に汗握ったことはまったくなかったという。

 なにせ、57回1/3に投げ、失点はわずかに5。防御率は驚異の0.78だ。四死球4が示すとおり、打者を歩かせることもほとんどない。「極端に言えば、ちょっと目を離したスキに2ストライクになっている感覚だった」と伊原元監督は回想するが、抜群のコントロールであっという間に打者を追い込んでいく。最後はウィニングショットのフォークで打球を簡単に前に飛ばされることはなかった。

 豊田コーチがクローザーに転向したのは01年。シーズンイン直後にクローザーの森慎二が不調に陥り代役として豊田コーチに白羽の矢が立った。当時の東尾修監督の「豊田は1球への思い入れが強い。だから選んだんだ」という“口説き文句”でクローザーへの転向を受け入れた。

「僕なんて取り柄がまったくない投手でしたから、そこを怠ったら何も残りません。だから、例えばキャッチボールにおいても1球目から大切にすることは、ずっと続けていました。1球きちんと投げたら、一つうまくなる。適当に投げたらマイナス1。年間通したらすごい差になりますし、そう思うとキャッチボールとはいえ1球たりとも、おろそかにすることはできません」と豊田コーチは以前語っていたが、その“流儀”が表れた試合の1つが、先発時代の1997年5月7日ダイエー戦(福岡ドーム)だろう。味方打線が毎回得点を記録して21点を挙げる中で豊田氏は完封勝利。どんなに点差があろうが気を抜かない。1球への思いが強いスタイルが貫かれていたように感じた。

“キャッチボールでの1球もムダにしない”

 豊田コーチの“流儀”を浸透させれば、西武投手陣も生まれ変わることができるかもしれない。

文=小林光男 写真=BBM
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