昨年、創刊60周年を迎えた『週刊ベースボール』。現在、(平日だけ)1日に1冊ずつバックナンバーを紹介する連載を進行中。いつまで続くかは担当者の健康と気力、さらには読者の皆さんの反応次第。できれば末永くお付き合いいただきたい。 ダンプ辻の怒り
今回は『1969年4月28日号』。定価は60円。
1969年シーズン開幕。注目の新人たちも、それぞれデビューを飾った。
阪神・
田淵幸一は開幕第3戦(対大洋。甲子園)、4月13日のダブルヘッダー2試合目で2打席連続ホームラン。
「チャンスを待っていました。ストライクだけは逃さないようにと、それだけを考えていました」
と笑顔の田淵。後藤監督は、
「やはり大物だよ。底知れぬ力の持ち主だ。これからドンドン使うよ」
と声を弾ませた。
田淵人気はすさまじく、前日、開幕戦のスタメンマスクは、
辻恭彦だったが、9回裏0対1で辻恭が打席に入ろうとすると、
「田淵を出せ!」と客席から一斉に怒号が飛ぶ。
大人しい辻が、ヘルメットを地面にたたきつけるほどの異様な雰囲気だったが、結局、田淵は次打者・
江夏豊の場面に代打で登場し、
平松政次に三振に斬って取られた。
日本最速の男、東京・
飯島秀雄は13日、東京球場の南海戦でデビュー。3対3の9回裏無死から
山崎裕之がヒットを放つと、すかさず代走。2万の観客が“いけ、飯島!”“ゴーゴー、飯島”と大歓声を送った。
南海バッテリーがタイムを取った間に、二塁ベースまで駆け抜ける派手なウォーミングアップで沸かせた後、1球目から走り、捕手・
野村克也の送球が逸れる間に、一気に三塁まで。さらに、その後、井石のヒットでサヨナラのホームも踏んだ。
「相手がよかったですね。日本一の捕手でしょ。これからもドンドン走りますよ」
と飯島。走られた野村は、
「俺から初盗塁を取りやがってなあ。でも、速いや」
と話していた。
四国で新球団創設を進める平井太郎参院自民党議員会長(ほか肩書多数)へのインタビューもあった。
すでに高松での新球場建設が具体化し、球団は既存球団との業務提携か、まったく新しい球団かを思案中という。
四国だけでは集客が厳しいのでは、という質問には「本州との橋ができれば大丈夫」とも話していた。
いろいろセットで動いていたのかもしれない。
では、またあした。
<次回に続く>
写真=BBM