昨年、創刊60周年を迎えた『週刊ベースボール』。現在、(平日だけ)1日に1冊ずつバックナンバーを紹介する連載を進行中。いつまで続くかは担当者の健康と気力、さらには読者の皆さんの反応次第。できれば末永くお付き合いいただきたい。 ヘッドコーチの辞任
今回は『1969年5月5日号』。定価は60円。
いつの間にか「サンケイアトムズ」がただの「アトムズ」になっていた。これは
ヤクルトが経営に参画し、サンケイグループが撤退し始めていることを考えれば、当然の流れともいえる。
松園オーナーは「ヤクルトの名前を表に出すかどうかは5月中にも決める」と言っており、今の感覚では飲食メーカーとしてはいかがかと思うのだが、「ヤクルト・アトムズ」になるのも時間の問題では、とあった。
これと関係するのかどうかは分からないが、開幕早々、アトムズの
楠安夫ヘッドコーチが辞任する騒ぎがあった。
楠は解説者時代、サンケイの水野成夫前オーナーに信頼され、家族ぐるみの付き合いをしてきた。
68年に監督になった
別所毅彦に誘われ、ヘッドコーチになったように言われているが、実際には楠が水野から監督要請されたのを断り、代わりに
巨人時代にバッテリーを組んだこともある別所を推薦したという流れだったようだ。
辞任の理由は、ヘッドコーチと先乗りスコアラーを兼務せよ、と言われ、嫌気がさしたとも言われたが、なんだかはっきりしない。水野が球団から去ったことで「ここらが潮時」と思ったのかもしれない。
ヤクルトはファンサービスにも熱心だったようで、神宮の
阪神戦には人気絶好調の萩本欽一、坂上二郎のコント55号が始球式に登場。大いに沸かせた。
ただ、本職より受けたのが、練習中の阪神・
カークランド。打撃練習でバットが折れると、アトムズベンチに置いてあった必勝祈願の大きなマスコットバットを持って打席に。場内は大爆笑となっていた。
さすが紋次郎だ。
では、またあした。
<次回に続く>
写真=BBM